大西等仏生山コミュニケーション協議会元会長の葬儀告別式
仏生山町の今を生きるわれわれ世代としては、町の中心人物として県会議員の平木享県議や武下重美仏生山商工振興会会長や十河寛敬仏生山コミュニティセンター長、森山亮(あきら・仏生山地区コミュニティ協議会副会長&仏生山地区連合自治会長)氏の顔が浮かぶのですが、その中に割って入る人気者が大西等さんです。
若づくりをしていましたが、昨日の通夜式で喪主の大西冠奈(次女)さんの説明だと満年齢八十七歳、ここ数年は『病気のデパート』と自称するほど何かと病魔と戦いながらの生活でした。「勝負する」が好きで、若い頃から野球、壮年になると町内の若い集と麻雀、競輪で盛り上がっていました。氏が経営する散髪店に行くと、テレビは常に競輪中継が流れていました。
町内運動会等でマイクを持つと、台本そっちのけでアナウンスが入ります。カラオケも得意でしたね。12日に息を引き取り、昨日14日が友引で通夜式、本15日(終戦記念日)が葬儀・告別式でした。大西等さんらしい、いつまでも人の記憶の中に鎮座する人物でした。平木享県議とは先代春男先生の選挙からの重鎮、ここのマイクも最近は海原和美(㈲一福仏照堂)さんに譲りながら、それでも持ったマイクは離しませんでした。
葬儀会場は高松一大きいと言われている『ベルモニー会館勅使会場』ですが、2階式場入口に往年の衣裳や写真等が孫さんらによって飾られています。その中に、今から13年前の厚生労働大臣表彰記念祝賀会で披露された「雨にも負けず」がありました。原文は言わずと知れた宮澤賢治ですが、大西等流に纏められています。その席に臨席した、『夫婦を慕う仲間』が書いたモノです。
(前段略)『通りの横の散髪屋の中の客用の心地よい椅子にいて、東に通学路あれば毎朝張り番に出かけ、西にやんちゃな若者あれば行って体協(仏生山体育協会)に入らせ、南にめんどい人あれば行って町の有り様を語り、北に道路や標識がめげとれば役所に仕舞いさせると言い、何かと若い衆が寄ってきてジャン卓を囲みとりあえずひとっさんに・・・と頼られよっしゃ・・・とすぐ動き、一つも苦にせんそういう気骨も妻のお陰と讃えたい。何とも良く人物・夫婦像が表現された詩であります。
導師は真言宗一宮寺住職、前日の通夜からまだ公に出来ないと言いながら、諡(おくりな)を漏らしてくださいました。葬儀焼香の際に盗見したのですが、『教道居士』とありました。人の道を言葉でなく、体で教えた人でした。出棺時は読経ではなく、石原裕次郎の『わが人生に悔いなし』。娘が『拍手でおくってやってください』と言い、大勢から「行ってこい」と声がかかり、まあ何とも奇想天外な告別式でした。戦後80年の終戦記念日。昭和のおっちゃんがまた一人、三途の川を渡ります。私もそうですが参列者の多くが、この先の生きる元気をもらいました。ご冥福を、お祈りしております。ありがとうございます。