第3750回

JAL1843は長崎空港へ

羽田空港のラウンジで、池田清一郎さんと偶然出会いました。銀座の定点観測をよく言われます。毎月の池田塾で、髙松の香川県の四国の話題を集約してくれています。田舎にあって、貴重なシンクタンクです。私の密かな情報源です。

長崎への移動は、島原ライオンズクラブの結成55年式典に参加するためです。所属する高松栗林ライオンズクラブとの姉妹提携クラブです。もう21年前になりました。雲仙・島原普賢岳噴火災害で落ち込む島原の小学生を、第5回高松冬のまつりへ招待するというアクティビティミッションを受けて、単独平井大資さんと2人で来たのを昨日のように覚えています。

私が幹事でしたが、私だけでは心配だと平井大資前幹事がお目付でついてくれました。激昂タイプの私と、沈思黙考タイプの平井さん。弥次喜多みたいな組み合わせで、平井先輩にはここで随分助けられました。21年前のアクティビティが成功したのは、平井大資さんのおかげです。

その後5年後でしたが、髙松砂漠の渇水時に、吉田謙治さんと松尾錦二さんが2人して散水車を髙松まで届けて下さいました。一ヶ月~二ヶ月ほどアパートマンションに水を運びました。今日も言われましたが、長男賢士を連れてここ島原へ散水車を返しに来ました。息子には言っていませんが大恩を、自分の世はもちろんのこと、次の時代も忘れないというメッセージのつもりでした。

その後も、5年ごとの記念式典にここへ来ています。今年最後の復興予算で出来た高速道路が、数日後に開通するそうです。今日の普賢岳は綺麗です。当時の島原市長鐘ヶ江管一氏とも話が出来ました。当時市庁舎には、全国から義援金を持参したライオンズクラブ関係者がベンチに座っていました。

それを歯牙にも掛けない藤井四郎幹事が、つかつかとひげの市長の所まで行きます。「市長、髙松栗林LCのメンバーです」。市長には用向きは伝わっていたようです。それはそうです。多忙を極めても、鐘ヶ江管一氏は島原LCのメンバーでした。

あの当時鐘ヶ江管一氏は毎日その動向が、全国版のテレビで紹介されていました。私もここで握手したときは、天皇陛下に思えました。市庁舎のぎしぎしした板の間の廊下と、鐘ヶ江管一氏の手の温かいさは、今でもよく覚えています。今日も、「当時ここへ来た髙松栗林の松野誠寛です」というと、少しだけ覚えているような感じでした。

島原LCは、会員数90余名。5年ぶりですが元気でした。高松栗林ライオンズクラブは今の会員数63名です。多いばかりが良いのではありませんが、何としても今年50周年、80名までは戻したい。

来年4月の栗林ライオンズクラブ記念式典には、今日髙松から参加した5名の倍の10名が来るという。私も21年前ここで交渉した時のことを今も忘れることはありません。今はもう物故された吉田練二会長。退会された藤井四郎幹事、今日の実行委員長として良い挨拶をされた村瀬幸光会計。

島原は私を、「男前」にしてくれます。私は島原が大好きだし、こんなご縁を頂いて、私は幸せ者です。二次会も行きました。女性会員の店が5~6店舗あって、ここは支払がなくて飲めるパラダイスです。帰りの味噌ラーメンも美味しかった。ありがとう島原。また来ます。

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