第3747回

2012盛和塾ロサンゼルスツアー5日目

早朝6時過ぎの集合です。私の参加したBコースは、一番ハードなツアーコースだとここへ来てから知らされました。Aコースは、今日ロサンジェルス空港から成田へ飛びます。もちろん往路も成田から、ロサンゼルスへ入っています。一番短いコースです。Cコースは、今日このバスの後、ラスベガスへ飛びます。

そしてわがBコースは、ホテルから6時間のバス移動です。目玉は、カリフォルニア州サリーナスの松井蘭農場訪問です。2009年第17回盛和塾全国大会体験発表最優秀賞を受賞した塾生です。私も会場で生の発表を聞きました。7名の発表者でしたが、香川塾の乾篤之代表世話人もその中の一人でした。よく覚えています。

松井紀潔(としきよ・アンディ松井)さんは奈良県五条市に、農家の長男として生まれ、1961年に10万円で権利を買って奈良県の農業実習生としてカルフォルニアへ渡りました。菊の栽培農家に、時給85ドルで雇われました。1ドル360円の時代で、1週間で日本のサラリーマンの月給になったと言います。1年して一度日本に帰り、すぐさま再渡米をすることになります。

その後幼い子供と、奥さんを呼び寄せ、奥さんは同じ85ドルで働き、2年で永住権を得て、約束の5年で独立をします。1967年ですが、5千ドルの預金が出来て、農地を借ります。そして70年には、サリーナスに畑を買いました。実に順調な、アメリカンドリームの達成です。

順風満帆に事業を伸ばし、菊の栽培で全米の15%まで延ばしました。ところが、1975年トレーラハウスが大流行。これを見て菊の栽培を断念したのです。理由は北に住んでいた老人が、オイルショックから燃料費が高騰し、暖房費が払えなくて南へトレーラハウスで移ってきた。これでは将来葬式用の菊を葬儀に贈る人が減ると読んだのでした。菊はアメリカでも葬式に使われています。

いろいろ調査検討を重ねて、より将来性の見込めるバラに転作。大きな利益を上げたそのバラも、90年代初めには価格の安い南米産との競争にさらされるようになったのでした。バラの切り花栽培に限界を感じた松井さんが次に目を付けたのが蘭だった。約4年間、世界中の蘭栽培農家を見て回り98年に蘭の鉢植え栽培を始めたのです。

63歳からの挑戦になったわけです。松井さんの農場の温室面積は、東京ドームの6倍で、200人の従業員が働くそうで、大部分がメキシコからの労働力です。そしていろいろなところで工夫をします。まず労務管理としては、福利厚生に力を入れて、賃金も他の農場の3割増しとし、部門では時給ではなくて請負にしているところもあり、能率を上げる工夫も上手です。

2日目に見学したスーパマーケット「トレーダジョー」に納品する際には、店長が相手にもしてくれなかった。1ドル99セントのワインを開発した御社に蘭が売れないわけがない。小ぶりの蘭を、13ドル99は高いし11ドル99セントは安い。11ドル99セントにして、卸値は8.5ドルとして提案。見事に消費者のハートを掴んだようです。

更に驚くことに、この価格を14年間そのまま据え置きと言います。松井さんはこの価格で3割の粗利を稼いでいます。人件費が高くなれば、仕入れを工夫して抑える。今はタイ産が8割の苗木だそうです。ペットボトルのような容器に詰めて船便で運びます。逆に菊は、9年間飛行機で全米へ運んだのでした。見事なまでの使い分けです。

サリーナスは、小説「怒りの葡萄」などを残した文豪ジョン・スタインベックの生地です。彼は、「エデンの東」も書いています。映画「エデンの東」と言えば、ジェームスデーンですが、エデンの東のテーマソングに歌詞を付けて、町おこしをすると言います。

新聞によると、松井さんの資産は1億ドル(約百億円)だそうです。遺書には、奥さんに残す分を除き、地域の貧しい子供たちの大学教育に遺産を使うと書いてあるそうです。そうそう4人の子供は、女女男男ですが、みんなハーバード大学へ行ったそうです。「ハーバード大学へ行かない者は花を作れ」と行ったそうです。

2004年創立した奨学金制度は、年間百万円をこれまで115人に贈ったそうです。地元の貧しいメキシコ人が多いと言います。さらに耳を疑ったのが、3年制の大学を世界に先駆けて作るそうです。まず30人クラスから始めます。松井財団から15人を入れる意気込みです。今77歳。「百歳までがんばって、農場のもうけを一億ドルにする。それでやっと一人前の百姓だ」。

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