讃州井筒屋へ古民家鑑定士が行く








昨日の日記に書いたとおり、四国中古住宅流通促進事業協議会(略称四国連携)の仲間に、「住まい教育推進協会」があり、古民家鑑定士制度を作って松山に拠点を持ち、全国へ展開しています。そこの香川県支部を、佐伯博英さんが中心となってがんばっています。私も、全国四千人の古民家鑑定士の一人です。
先の四国中古住宅流通促進事業協議会(略称四国連携)は、中古住宅の流通・活性化を目的に、その戦術を模索しています。その範疇に、四国連携は「古民家」も含めています。古民家は築後50年を超えた木造在来工法の家と定義されています。しかし私が受験した頃は、築後60年でした。
ところで讃州井筒屋ですが、佐野家の元屋敷を引田町が買い求め、改修したものです。地元のNPO法人が運営しています。生駒家、松平両家に仕え、初代高松藩主松平頼重によってここ引田村に屋敷・土地を与えられたとされています。ここ引田町は、豪商が三家あったと言われています。
ここ佐野家と隣の岡田家(かめびし醤油)、もう一つは忘れてしまいましたが、この小さな村にこれほどまでの富が集まったというのも偶然ではないでしょう。ここでは「塩」も作られていました。古文書によれば、「引田塩」はブランドだったようです。
明治以降の引田と言えば、「手袋」です。全国8割のシェアーをとっていたと言われています。その後は、「ひけた鰤(ぶり)」の登場です。築地市場に、船を横付けして陸揚げしていました。昼食は、「海鮮丼」でした。「関アジ丼」を思い出しました。
江戸時代、引田村(現東かがわ市引田)は、讃の交通、物流の拠点でした。丸亀港が出来る前の金比羅参りは、この引田港が拠点だったそうです。ここからは随分距離があります。潮止まりの港でもあります。東の鳴門海峡の潮を、ここで調整したのです。
その後は、ベンガラのかめびし醤油を見学しました。日本で唯一、「むしろ」にもろみを広げるのですが、古典製法がうまい醤油を作ります。もう30年になりますか、縁あってここのイベントに来たことがありました。流政之氏が作った瓶が、何とも粋でした。おしゃれの街引田町です。