三笠輝彦氏御母堂様通夜式
高松市議三笠輝彦氏の御母堂靖(せい)様の通夜式が、高松市勅使町ベルモニー会館で執り行われました。予想はしておりましたが大勢の参列客で、まず駐車場がごった返していました。私も心得たつもりで、開式予定時刻の30分前には到着しましたが、もうすでに隣接の臨時駐車場へ廻されました。明日は郷東川河川敷の臨時駐車場まで用意するようです。
受付も大勢の人が手分けして、それぞれの受付を担っています。久しぶりに森勝一建築設計事務所の奥様にもお目にかかりました。テントが張られ、植本義明元会長の告別式を彷彿させる陣容です。流石に三笠輝彦先生のお人柄、実力です。
三笠先生は一宮町ですから、浄土真宗本願寺派来光寺さんが旦那寺のようです。前日の新聞記事ですが、東京周辺では地方から上京して住み着いた住民が多くて、旦那寺制度がないというか、あたり前ですが先祖伝来の寺がないのです。従って葬儀会館で相談して、僧侶を派遣して貰うようです。
新聞記事には、その際に拝受する祈祷料(お布施)が、喪主さんから僧侶(仮に10万円としたら)に渡り、派遣会社(5万円)へ渡り、葬儀会館まで分配金(2.5万円)がくまなく分け分けされるが、その所得申告がなされてなかったという内容でした。数字は私の予想ですから確信はありませんが、申告漏れば2.5億円ぐらいの数字になっていたと記憶しています。
さて本題に戻りますが三笠靖様は、昭和14年でしたか香川県の東讃の丹生から嫁いだと喪主挨拶で説明がありました。非農家から大地主の三笠家へ嫁し、曾祖父の手取り足取りの指導の下、したことのない農業をやって今日の94歳までの人生を全うしたのです。
当然戦争も経験されて、地主農家であれば食べることには何の不自由もなかったことでしょうが、日本が戦争に明け暮れて、敗戦から復興まで、加えて今の体たらくまで見続けた歴史の証人でもあるわけです。この時代の日本人は、本当に強いと思います。強い日本人が、またお一人天に召されて、歴史を語る人が一人欠けて仕舞いました。ご冥福をお祈りします。