長崎は今日も雨だった




長崎での目覚めです。男4人部屋ですが、昨年末の高知より良かったですね。3人はどうだか、少なくても私はよく寝ました。騒ぎすぎか、飲み過ぎか、いずれにしても遅い起床になりました。みなさん健康に留意していると言う割には、よく呑んでよく食べています。
救急車で搬送されたAさんも、遅れること2時間程度で復帰され、夕食をご夫婦で召し上がっていましたが、今朝はいつものように元気を回復されたようです。ビックリしましたが、元気になって本当によかったよかった。
「長崎は今日も雨だった」と唄の文句も出て来そうですが、朝から小雨が降っています。よく聞くことですが、長崎は坂ばかりです。ここは平地が少なくて、その分だけ地価も高くて、また街中には廃居も目に付きません。山の中腹まで建物が建ち並んでいます。地震は大丈夫かと、思わず心配するほどです。
阪急交通社の格安ツアーですから、スタートの眼鏡橋から先のルートはオプションです。軍歌島へ行って食事をして3,980円です。食事は皿うどんとチャーハンなど、盛りだくさん出て来ました。まずまず及第点です。
軍艦島は初めてです。と言っても野母崎軍艦島資料館へ行って、渡ったつもりになっています。軍艦島へは、長崎港からの渡船等が幾つかありますが、ここからであれば10分です。軍艦島は、「端島(はしま)」が正式な名前です。ところが姿が、長崎造船所で作られた「軍艦土佐」に似ていたことからこのように呼ばれるようになったみたい。
1974年1月に閉山になるまで、最盛期は5300名が暮らす島でした。当時は東京の人口密度の9倍と言いますから、狭い限られた面積で、24時間3交代での採炭労働が続いたようです。小中学校からパチンコ屋まで、生活のための施設が揃っていたようです。日本の、高度経済成長の象徴の一つでもあります。
1916年(大正5)には、日本で初めての、「鉄筋コンクリート造」の高層集合住宅が作られ、6畳二間に竈がついた住戸だったようです。水は不足していたために、殆どは共同浴場を利用し、もちろん海底ケーブルがつく1918年までは、電気も自家発電で賄っていました。
2009年1月に、世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとして、また新しい歴史を刻もうとしています。またこのところ、テレビでも話題になっているところです。瀬戸内海に浮かぶ「犬島」を連想します。
また偶然ですが、長崎歴史文化博物館では、「孫文と梅屋庄吉と長崎」特別企画展が開催されていました。昨年12月、日比谷公園の松本楼を訪れた際に、遺品の多くが「長崎へ貸し出し中」と注書きがありましたが、ここの歴史文化博物館へ来ていた訳ですね。
梅屋庄吉はここ長崎生まれです。長崎は異国情緒というか日本離れしていたのでしょう。私は知るよしもないのですが、やはり気候風土言葉など文化がそこの人を変えるのですね。歌手の福山雅治さんもここの出身で、今は新しい観光スポットで、見学者が絶えないということです。