第3009回

高南支部研修旅行2010の2日目

昨夜の騒ぎがウソのような、穏やかな山間での目覚めです。近くの国道を走る車の定期的な轍音だけが響いています。寝入ったのが23時頃でしたか、それでも元気者の久保喜治さんは5時頃に起きて「朝風呂」へ行きました。昨日の患者と、3人部屋です。患者が暑いと言って、エアコンをつけて寝ていました。テレビも電気も、患者さんが消して就寝したと言うから、もう大丈夫です。

昨日の医師からは、アルコールと熱い風呂はダメ、シャワー程度と言われて患者は強いショックを受けていました。温泉宿で風呂がダメ、旅先でアルコールがダメと言われたら、することがありません。それでも一緒に帰れるからと、納得させます。

8時にバス6台が宿を後にします。これだと後片付けがスムーズに運びます。香川県からのバスは2台ですが、いずれも「穴吹トラベル」の仕立て車です。なかなか頑張っています。

まず大戦中の資料800点を展示しているという、「大刀洗平和記念館」へ行きます。ここも平成の大合併債10億円を入れて、昨年の秋に完成したばかりの施設です。もともと陸軍の飛行場やパイロット養成所などがあって、有名なところだそうです。

 

私もつい最近知ったのですが、零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、支那事変(日中戦争の当時の呼称)の半ばから大東亜戦争[1]の終戦まで、主力戦闘機として前線で運用された。

当時の軍用機は採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。零戦が制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」であるため「零式」という名称になった。なお日本陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式重爆撃機)。海軍は1942年(昭和17年)零戦の水上機型である二式水上戦闘機などを最後に年次名称を廃止したため、大戦後期に主力となった局地戦闘機「紫電二一型(紫電改)」や「雷電」などには年次名称はない。フリー百科事典ウィキペディア

このことを知っていたので、事前にバスガイドに伝えていました。西山孝子さんは優秀なガイドです。昨日の迎えの配車は、彼女の発案でした。彼女の口も、ますます精彩を放つことでしょう。

 

「日田豆田」は良かったですね。天領日田と言われ、林業が盛んなところですが、ここからの材木を西の「家具の大川」へ川で運んでいたようで、裕福なところで、その面影を強く残した町並みです。仏生山町も、「日田豆田」や「金沢武家屋敷跡」を手本とするくらいの覚悟がいります。しかしどちらも車と遭遇です。人が住んでいるところですから当然ですが、観光客は落ち着かないのも事実です。

電話で相談 メールで相談