第2956回

塾生企業訪問はぶどうの木

朝は早く目覚めました。それでも3人に悪い(いびきで迷惑を掛けて安眠を妨害した)ので、6時までは床の中で死んだふりをしていました。カーテンで外の様子はうかがえませんが、もう外は明るくなっているはずです。空調が良かったのか、服を着たまま寝たのが良かったのか、風邪はひいていないようです。

朝風呂へ突入です。この宿は海のほとりにあるのですが、水面がほとんど同じです。聞くと日本海の潮位は、太平洋側のそれより干満の差がないそうです。水面から1メートル程のところにこの建物はあるのですが、その差はほとんど変わっていません。

朝食は東京塾の菅沼佳一郎さんの隣へ座りました。シリコンバレー塾開塾ツアー以来のソウルメイトです。京都塾の芳野佑伍さんと何か熱心に話をしています。聞くとはなしに聞いていると、盛和塾が始まる前の1979年頃の話でした。京都で盛和塾の前身である「盛友塾」が25人で発足した話は、私も聞いています。しかし芳野さんの話は、それよりもさらに遡るようです。

芳野佑伍さんが青年会議所の、シニアーの何とか言う会の委員長をしていた折りに、お呼びしたい経営者を募ったところ、「稲盛和夫京セラ社長」がダントツの一位だったそうです。そして当時奥様の弟さんが秘書課長をしていた京セラへ乗り込んで、講演を依頼したという話でした。

予定しているその日が、海外出張から帰った翌日であり、海外での予定はしばしば変わることある程度考慮したら、とても受けられるものではないと断られたそうです。それを三顧の礼を尽くして頼んだそうです。万一の場合は、こちらで責任を取りますと言って、口説いたそうです。

翌日稲盛和夫氏は、出迎えも断り、時間前十分な余裕で会場入りして、責任を果たしたそうです。もちろん聞く方は、万感の思いを込めて聞いています。面白くないわけがありません。これがきっかけで、盛友塾が出来たと聞きました。ここまでの話は、これまで聞いたこともなかったし、読んだこともありませんでした。

その後稲盛和夫塾長が、忙しいことを理由に、「これが最後だと」言われた例会の後のコンパは、実に「通夜」のように沈みかえっていたようです。この頃も塾長は、事前に2時間の準備をしていたそうで、その準備の時間がないということでした。みんなは異口同音に、「そんな準備はしなくて、その場での思いつきの話で十分です」と言ったそうですが、塾長はそれを良しとされなかったようです。

コンパでみんなの落ち込みを見た塾長は、「分かった、必ず時間を作って再開する」と誓って、それから3年後に始まったのが盛和塾です。私は盛和塾発祥の京都塾の芳野佑伍さんから、このように聞いたのですが、私の誤解があれば、教えて下さい。

こんなお宝談話を聞きながら、美味しい朝食を済ませて6号車バスに乗ります。「㈱ぶどうの木」へ行くわけですが、本昌康さんは、母親が嫁して自分が生まれる前に植えた一本のぶどうの木に、自分の正々の旗を重ねました。

ぶどうの育成出荷から、今はぶどう園で結婚式や披露宴をしています。本さんに常識を尋ねたら、その答えは「非常識」なことが多いのです。銀座にアンテナショップを運営し、ここで作ったものを販売しています。贈答品の売り上げ比率が、当然上がっています。

ぶどう栽培と言えば農業ですが、本さんは新しい農業収入に、通販やアンテナショップを通じた贈答品の販売など、新しい「農業」を目指しています。農業は労働集約型産業で、労働賃金が安いという常識をぶち破っています。

ぶどう狩りなど、横への展開は考えていないようです。垂直登坂は、稲盛和夫塾長好みの経営手法です。次は何が出るか、楽しみな「ぶどうの木」でした。

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