長崎原爆投下から同じく81年
今日9日、長崎は米国による原爆投下から81年の「原爆の日」を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では『長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』が営まれた。今さらながら6日の、広島への原爆投下でその威力を確認したにもかかわらず、また長崎に原爆投下の必要があったのかと問いたい。ましてや長崎市は、9日の第一候補地の北九州の当時の小倉市が、日本軍の抵抗でB-29爆撃機が目標地点まで降下できず、やむなく選ばれた次の候補地であったと聞きます。一般的には天候不順、視界不良と言われていますが日本軍の必死の抵抗だったようです。
米国が日本に新型爆弾を落とすと決め、その候補地は比較的早くから選定されていた。裏を返せば米国は、早い段階から日本を戦争に巻き込んで、新型爆弾を使う算段をし、必ずそこへ投下し、戦争を終わらせるシナリオを描いていたと私は考えている。だからその候補地には、空爆をしていない。効果を検証するために、ビフォワー・アフターがはっきりするところ、つまり空爆されていないところを作っておく。それが「広島・小倉・長崎・新潟」だったと聞く。
長崎では7万3,884人が死亡したとされるが、あまりにも酷いことだ。原爆が最強の武器であることは今も昔も変わらないのだが、ある意味地球破滅の威力を持った人類最後の兵器だと私は思います。6日に投下された広島、9日投下の長崎の被爆者団体は、核廃絶を訴え続けている。この声が小さくなり、聞こえなくなるのは心配だ。
戦争は人類が生存する限り、決してなくならない。実際に武力を用いる「熱い戦争」だけでなく、冷戦をはじめ、現代の戦いは多岐にわたる。『情報戦・心理戦・金融戦・バーチャル戦』とどれも相手を塗炭の苦しみに陥れる。人間の性というモノは、その位残酷なモノだ。災害の多い日本に暮らす私たちは、自らの痛みや苦しみを通じて、他者の痛みも想像できるのではないか。ユーチューブなどで勉強を進めていくと、古代から日本人は神だ仏だ先祖様だと、恐れ多い存在感を漠然とだが持ち合わせている。
7日の立秋が過ぎて、高松は夏のステージが変わった。長崎を憂いていてもせんないことで、先祖様の眠る墓所の掃除に出掛ける。今日は何だかいつも以上に、気合いを入れて墓石の磨きもした。通販で購入した特殊液体洗剤が、30数年来の共同住宅の階段清掃に効果を発揮して、私は積年の課題が解決したと大喜び。その残りの洗剤で、墓石も洗いました。
先祖様から頂いた多くのモノの中で、物理的なモノに限定すれば、この法然寺内の墓所と、町内の通称競馬場(戦前草競馬が行われていた所の地名)に残された僅かばかりの畑と、現在私たちが居住する自宅だが、ここ2~3年畑が活躍している。夫婦してと言いながら8割はかみさんの仕事になっていますが、一年を通じて遊ばせてくれています。
墓所は予定している息子夫婦のための空地に、そろそろ墓石を建てて、われわれの終活としようかと考え始めています。子どもが使うかどうかさえ定かではありませんが、そんなことを考える今日この頃であります。同時に広島長崎の犠牲者の同胞に、哀悼の意を表します。