元労働大臣平井卓志先生の合同葬




7月16日に77歳の天寿を全うし、泉下に入られた故平井卓志元参議院議員の四国新聞社、西日本放送等の社葬と平井家の合同葬が本日雨のサンメッセ香川に数千人の弔問客を集めて、厳かに執り行われました。
広い会場ですが用意された椅子のほとんど使用し、献花にも随分時間がかかる人の数でした。
故平井卓志さんは、高松出身で学習院大学を卒業3年後に四国新聞社へ入社し、義父の平井太郎氏の急逝の跡を継いで、昭和49年の参議院補欠選挙に立候補して当選後、5期25年の長きにわたり参議院議員として貢献をされました。
そしてそのご褒美として、平成14年春に「勲一等旭日大綬章」をまた今月にはいって、「正三位」が贈られています。
私には身近な、平井卓也前衆議院議員の親父さんというほうが、表現として的確です。第3次中曽根康弘内閣で、労働大臣として入閣、その後の「瀬戸大橋」「高松空港」「高松道高速道路」の三大プロジェクトにその豪腕を発揮し、われわれにとっては実に頼もしい国会議員でした。
平井卓志参議院議員、大平正芳衆議院議員の頃は、日本の政治も高度成長下の経済支えられて、ある意味いい議員生活だったのかなと思います。本日の平井卓志を偲ぶ追悼特集の写真は、野球にしても釣りにしても、ドジョウうどんを食らうものも実にいい顔に写っています。
ましかし、現実はそう甘くはなかったとは思いますが、人生一番の選択は平井太郎氏の長女とのご成婚であり、その次は長男卓也さんの衆議院議員立候補ではないかと想像します。
親子孫と3代の参議院議員であれば、そう言ったら失礼ですが、さほどの選択はいらなかったのではないでしょうか。相談を受けた日本テレビ放送網の氏家齋一郎氏は、「総理大臣を目指して衆議院議員になれ」と檄を飛ばして、今日があるようです。弔辞でそのことを披露されていました。
さて30日の県民の審判ですが、弔い合戦的雪崩現象が票に結びつくか、祖父尊父という大きな壁にぶつかって一休みになるのか、われわれ有権者の選択眼にかかっているところです。