第2006回

植本義明前会長との思いでその参

平成6年の、香川県宅地建物取引業協会会長就任から、植本義明前会長は12年間その職に就いて、全宅連(全国宅地建物取引業協会連合会・構成員11万人)の副会長にまで登りつめました。体に問題がなければ、今でも副会長職にあったと思います。私は、「東京に居を構えて、全国会長をやってください」と発破を掛けていました。それも実現不可能ではなかった、藤田和夫会長との仲に見えました。

しかし就任の頃の彼の才能、やる気、考え方は、今のようなパーフェクト状態ではなかったように思います。地位が人を育てるとも言います。植本義明前会長の場合も、その傾向が強かったと思います。50歳を過ぎて成長するということは、根が素直なのでしょうね。無限の可能性を秘めていました。

業界にあって、仕事で香川のトップを獲って、高松の「古馬場」という第二の歓楽街を作りました。木造店舗兼住宅が、鉄筋コンクリート造のビルに建て代わり、そこに飲食店がどんどん入りました。それが一つの街となりました。そのビルの多くは、東京の銀座や赤坂、六本木の建物を模した物です。「プッチーニーの小路」というネーミングも、「小ジャレた」ネーミングですよね。後発の繁華街が、今は一番になっています。

また植本義明前会長は、先輩を大変立てる人でした。前前会長の北川勝美さま、その前の日下輝雄会長をはじめ、目上の人を大切にする人でした。会津藩の教えに、「目上の人にはお辞儀をしなくてはなりません」という文言があります。彼もこの鉄則を知っていたのですね。先輩に敬意を表し、同輩を思いやり、後輩を愛でる姿勢に、人はみな惹きつけられたのでしょう。

しかし人使いは荒い人でした。私は彼を、「フセインよしあき」と呼んでいました。「協会会員皆様のために」、粉骨砕身「その責務を果たせ」と言われました。

本日は彼が全国に先駆けて作った、「協会婦人部」の会員さんが数名、「花を入れに行く」と叫んで駆け上がるものですから、私もどさくさに紛れて顔の近くに、花をたむけました。

お別れです。5年近くの闘病生活、本当にお疲れ様でした。東大病院まで治療に通われましたが、投薬の効なく、本日ついに永遠のお別れです。

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