会長日記

第4190回

髙松栗林ライオンズクラブ第1228回冬のまつり例会

第27回高松冬のまつりが、20日から始まっています。今日はその冬のまつりにあわせての例会です。これまでは、点灯式のあとに例会が組み込まれていましたが、曜日の関係ですか、今日は点灯式とは別に例会が組まれています。

また今日の例会は、高知黒潮ライオネスクラブと髙松栗林ライオンズクラブの友好提携の例会でもあります。高知から例のバスで、今回は11名のメンバーが高松へ来てくれています。今月12日には、髙松栗林ライオンズクラブから10名が高知へお邪魔をしています。互いの交流が始まっています。

今日も、髙松栗林ライオンズクラブの古参メンバーから、「友好提携ありがとう」と声がけを頂きました。老いも若きも、高知黒潮ライオンズクラブとの友好提携は好印象です。また本日は、髙松栗林ライオンズクラブの友好クラブの、岡山後楽ライオンズクラブメンバーも駆けつけてくれています。

高知黒潮ライオンズクラブへ今月12日…

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第4189回

フラット35の10割融資は果たして朗報か

国土交通省は、住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)の住宅ローン「フラット35」の融資額を、これまでの9割から10割へと引き上げます。自民党の国土交通部会が12月10日の部会で了承したものです。いつから実施か、小欄は知りませんが、融資が受けやすくなるのは有難いことです。

しかし仲介する側にも、一抹の不安もあります。私の創業時つまり30年前のガイドラインでは、頭金2割が普通でした。しかし考えようによっては、仮に2000万円の物件であれば、1割頭金では200万円が必要です。月額5万円とすると、40ヶ月ですから3年半の辛坊です。

これが35年の返済ローンであれば、200万円分の返済額なら月額1万円にもなりません。生活費を切り詰めて200万円を貯めるより、月々8千円程度返済の方がずっと楽です。頭金なしで全額ローンにしても、早く買い快適生活をした方が人生リッチとも言えると思います。仮に賃貸物件に住ん…

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第4188回

香宅協税務連絡協議会と入会審査会と常務理事会

日下雅彦会長の言葉に、「香宅協税務連絡協議会が開催されると、いよいよ年末が来たなと実感する」という台詞がありました。私も同感です。本日は、高松税務署から高尾久副署長、水尾広文統括国税調査官、近澤和彦総括上席調査官の臨席を賜り、意見交換を行いました。

高松税務署からは、今年1年間の賃貸売買関係の明細が求められます。10数年前は私も、「個人情報保護法(当時は法施行前であったが、宅建業法でも守秘義務は求められていた)」に抵触するので開示はしないと突っ張っていたのです。傲慢ではなかったにしろ、生意気だったのは間違いありません。

名簿も出ていますから、すぐに松野不動産への税務調査が来るかなと内心心配もしましたが、あの頃も今も、弊社への調査は概ね10年毎になっています。特段「見せしめ」のようなものは、勿論ありませんでした。

今年の資料には、個人情報保護法の中で、あらかじめ本人の同意を得ないで良い…

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第4187回

第14回アパマンショップネットワーク全国大会

今年の全国大会は、会場を品川から東京ビッグサイトへ移し、6千名弱の加盟店企業やオーナーさんら参加者を大勢集めて今日と明日の2日に亘り、開催されています。規模を誇るのは良いとしても、コンベンションホールで暖房なしは、古参の参加者からは大ブーイングです。

午前中から相談役会、世話人会と続いています。そして午後1時からは、石破茂自民党幹事長の登壇です。石破茂幹事長(56)は、元外務大臣を務めた中山太郎会長のあとを受けて、「賃貸住宅対策議員連盟(自民党衆参議員410名中303名の最大議連)」の会長です。私も結成時に、地元の国会議員を誘いました。

3年半の野党も経験した自民党でしたが、不働産関係団体は、おしなべて自民党を応援していました。「それでいいのか」という内部での意見もありましたが、概ね自民党を支持団体として応援しました。結成時は120名程度でしたが、今は昨年末の衆議院、そして今年の参議院…

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第4186回

カウントダウン・メルトダウン上下

ジャーナリスト船橋洋一氏の力作です。東京電力福島第一原子力発電所の、1号機3号機2号機とメルトダウンしただろうと思われる原子炉の様子と、それと悪戦苦闘した吉田昌郎(よしだまさお)氏らの行動について、つぶさにまとめています。

こんなこと書いて、余計な心配をさせても仕方が無いのですが、日本国の運営の警鐘として、私は読んでいました。上下2巻ですから、大変なボリュームです。まとめて読む時間がありません。出張の時などが、ページを稼ぐ絶好のチャンスです。

印象的な記述は、下巻380頁に今話題の猪瀬直樹東京都知事の「昭和16年夏の敗戦」にあります。近衛文麿内閣は、1941年(昭和16年)4月1日に、内閣総力研究所を発足させた。

「12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから…

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第4185回

第4回全宅管理業務企画委員会

もう1年半になりますか、全宅連傘下の全宅管理(全国賃貸不動産管理業協会)の業務企画委員会に参加するようになってから。本日は第4回業務企画委員会が、神田の全宅連会館で開催されています。午前中に、ワーキンググループ会があって、昼食後、午後5時半まであっという間の会議でした。

私も賃貸管理業は、昭和60年にはじめてもう30年になり、不動産実務研修ゼミを開講する位ですから、そこそこのノウハウは持っていると自負していましたが、ここへ集う面々は、私も「参った」と素直に言える強者連です。特に佐々木正勝業務企画委員長は、この道12年だそうです。

私は何も分からないままにこの委員会に招聘され、何も分からないままに出席しています。たった6人ですが、この面々で、これまでの成果物を作りだしています。今の作業は、退去立会業務の統一化です。そのために各委員が、日頃業務で使っている生資料を持ち寄っています。

加え…

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第4184回

コトデン琴平線に新駅綾川駅誕生

高松琴平電気鉄道は15日、琴平線の陶‐滝宮間に新駅「綾川駅」を開業しました。前回は約7年前の同線「空港通り駅」でした。当然ですが、利用客には便利になります。第三者的発言では、どんどん新駅を増やして欲しいのにと思います。新駅が出来ると、必ずその周辺は賑わいます。

いつもの馬鹿な話しですが、下り仏生山駅で降りるところを、乗り過ごして行ってしまいます。その前は次駅が「一宮駅」でした。この「空港通り駅」が出来て、何度か助かりました。遅い時間は、駅前タクシーもいません。流しのタクシーもいないし、馬鹿な自分に改めて愕然としたことがあります。

ところでこの綾川駅は、「イオン綾川店」の至近にあり、当然とも言えますが、新駅開設にはいろいろなハードルがあったようです。高松琴平電気鉄道が主体となりますが、綾川町の協力も欠かせません。「イオン綾川店」という民間企業のためと言えば言えなくもありませんが、もう既に…

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第4183回

熊本から長崎県島原へ松尾錦二さんの見舞い

1987年(昭和62年)にはじまった、高松冬のまつり。第4回目の平成2年(1990年)、雲仙普賢岳の200年ぶりの大噴火で落ち込んでいる島原第4小学校の子供たち23人に、高松冬のまつりのイルミネーションを見せてあげようと、子供らを派遣してくれるようにとの交渉のために、当時幹事の私は、平井大資さんと島原へ来ました。

その時に、島原ライオンズクラブの窓口となったのが、松尾錦二クラブ教育委員長でした。クラブ内の反対を押し切って、公募によって23人を選定し、7人のメンバーと事務局員梅林薰さんを看護師代わりに、夕暮れの高松空港へ到着しました。ここから平井タクシーの出番です。

予定通り、点灯式の舞台に4小の子供らが恥ずかしそうに立ちました。田舎(失礼)の子らは、明るすぎる照明を浴びて、ビックリした様子。この頃はまだ楽しむまでにはなっていませんでした。しかしそこは子ども、すぐに慣れて高松のイルミネー…

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第4182回

熊本での葬儀告別式

私の母校は、文化人類学に祖父江教授がいて、私も教養課程で受講したことがあります。全国各地、はたまた世界の習慣など、祭事や冠婚葬祭などを通じて、地方文化の広がりを検証しています。その位、習慣というか風習は違うものです。

ここでの葬式も、私の常識からはかけ離れています。14時葬儀告別式と聞いて、午前中はゆっくり出来るとも思いきや、何と8時集合です。会館へ集合して、ご遺体に花などを入れてお別れをします。それから、熊本市営斎場へ霊柩車とバスが移動します。そうなんですよ、先に火葬にして遺骨を持ち帰り、葬儀項別式になります。

会館から斎場まで、1時間かかります。骨揚げを終えて会館へ帰って、丁度正午になりました。「おとき」を頂きます。昨晩の通夜の席でも、美味しい食事を頂きました。「おとき」は故人との最後の食事だそうです。精進料理ですが、私の好きなこんにゃくなど煮物が中心で、毎日これを食していると、高…

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第4181回

叔父平井紀元の通夜

母チサ子の弟、紀元(のりもと)おじさんが73歳で他界したと連絡があって、九州に来ています。はじめて九州新幹線「さくら」に乗りました。岡山から一気に熊本まで、2時間でつなぎます。実に早くなりました。母が私や妹の手をとって実家に帰っていた頃は、夜船に乗って、阿蘇山を越えて、次の日の昼頃熊本に着いていました。

紀元さんは、私の父親が急逝し、姉が困っていると手助けに来てくれました。私が10歳で紀元さんが22歳、そのお嫁さん恵美子(喪主)さんは18歳でした。なにかと心丈夫でした。おさな心に、父が死に母が死んだら兄妹死ぬんだなと漠然と考えていました。死という差し迫った恐怖感はありませんでしたが、その日まで一生懸命生きようと決意したところでした。

母は平井家9人姉妹の次女でしたが、私が従兄弟の最年長だったこともあり、何かにつけて「ノブヒロ、のぶひろ」と、おじさんおばさんらに可愛がられました。甘えたは…

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