日本経済新聞・経営の視点稲盛イズム『人として』
標題の論説委員・田中陽氏の記事に、目が留まった。『高い特性で意志決定を』と、副題が付いている。コロナ禍の資源高や為替変動など、いろいろな価格体系が変わる2023年。経営のトップから現場まで価格などの商取引、組織運営などの幅広い分野で迅速な意志決定が求められる機会は、今以上に増えるはずだ。その時に、拠り所にすべきことは何か。
法令遵守は当然として、その前に心がけないといけないことがある。それは『人(間)として正しいかどうか』だ。昨年、亡くなった経営の神様と呼ばれた稲盛和夫氏。同氏の謦咳(けいがい)に接した多くの経営者が、偲ぶ言葉として引いたのが『人として』。この高い、徳性に照らして意思決定する大切さを学んだ。旧盛和塾生にはごくあたりまえのことで、取り立てて言うことでもない。
しかし、このような塾外の公器な場で目にすると、元塾生としては『わが意を得たり』と小膝叩いて嬉しくなります。盛和塾では、『人(間)として正しいかどうか』に続く言葉として『敬天愛人』が必ず登場してくる。西郷南洲が好んで使った言葉だが、天を敬い自分以外の『人』愛する。家族だったり、ともに働く従業員だったり、周辺の住民だったりと自分以外の『人』を愛しなさいと南洲は説いている。決して特殊関係人のことではないし、自らは決して愛して(大事にして)はならないと厳しく峻別している。
当たり前の規範だが『人として』は、なかなか実践できないのが世の常だ。昨年末、『人として』を踏み外したニュースが相次いだ。アップル日本法人による、免税販売を巡る約140億円もの追徴課税。転売目的の販売に、免税制度を適用して販売したことの追徴だが、ある意味アップルも被害者のように見える。「早く早く」とせかされ、転売目的だと分かっていても免税販売をしてしまった。
売上高と利益欲しさが、『人として』を脇に置いてしまう。私などは、『ずるい』ことが人として正しくないことだと単純に考えています。稲盛和夫塾長の『利他主義』は、ビジネス界では夢物語の戯言のように思われがちですが、稲盛和夫塾長はKDDIを含めると、数兆円企業を『人(間)として正しいかどうか』を前面に押し出して創り上げました。
ビジネスは商業倫理と経済法の檻(おり)に囲まれた中で、自由な活動が許される。『人として』。稲盛イズムをかみしめるべきだ。このように記事は、字数丁度で終わっている。見習うことが、凝縮されていると何度か読み直しました。