第8725回

仏生山商工振興会の令和7年度会計監査その先にあるモノは

『仏生山商工振興会』は、香川県高松市仏生山地区の商工業者によって構成される地域経済団体で、地域商業の振興やまちづくり活動を目的として活動している任意団体です。現在は高松商工会議所との連携のもと、地域イベントや商店街活性化、事業者間交流などを担っています。『仏生山商工振興会』という名称から、しばしば『商工会』や『商工会議所』と混同されますが、法的には別物です。

私も大学卒業後に家業(製麺業)を継承し、およそ50年間一会員として所属し、ある意味いろいろなことを教えられた組織であります。途中から麺業を廃し、不動産業に業態を変えましたが、今日まで継続して会員であり、監査役として本日総会前の監査会に出席しています。改めて今の時代です、AIを駆使して自分の中の整理という意味から、仏生山商工振興会の深掘りをしてみました。

日本には、以下のような制度があります。『商工会』は商工会法の規制と保護下にあり、地域中小企業支援の公的性格を持つ法人。『商工会議所』は商工会議所法の元、都市部中心の特別認可法人。『商工振興会』は特別法はなく、地域任意団体・協議会的組織としての位置づけであります。つまり『仏生山商工振興会』は、商工会法や商工会議所法に基づく法人ではなく、地域商店・企業の自主的連携組織であります。

繰り返しになりますが、全国各地に存在する『商工振興団体』は法人格を持たないケースが多いのです。地域イベントや販促活動を中心に行い、行政・商工会議所と連携しながら地域振興を担うという性格です。確認できる公開情報では、仏生山商工振興会の創業・設立年は「1961年(昭和36年)」とされています。これは全国で「商工会法」が施行され、地域経済団体の整備が進んだ時期と重なります。ただし、仏生山商工振興会そのものは法定商工会ではなく、仏生山地区独自の商業振興団体としてそれ以前の昭和27年の菊人形展にあわせて組織化されたものとみられます。

この自由度のため仏生山の「菊人形展」は、昭和27年前後(1952年前後)から始まった秋の大イベントで、当時の仏生山町(当時は香川郡仏生山町)が中心となって開催していた地域振興事業の一つですが、ここの運営管理を当時の仏生山商工振興会がやっていたように、私も幼少期の記憶として残っています。現在では『ふるさと仏生山』にしか正式記録が残っていませんが、当時を知る地域住民の証言や地方商店街史からみると、仏生山の秋の風物詩として県内外から多数の見物客を集めていました。

当時の地方商店街では、菊人形、見世物小屋、菊花展、物産展、夜店などを組み合わせた「長期滞在型イベント」が全国的に流行しており、仏生山もその流れの中にありました。また、10月末〜11月頃約40日間入場有料夜間照明ありという、かなり大規模な催事だったようです。昭和32年頃は最盛期を迎え、期間中の入場者は9万人に上ったそうです。地方都市では、まだテレビ娯楽や大型レジャー施設が少なく、菊人形展は「秋の一大娯楽」でした。特に子ども連れ家族や団体客が多く、琴電利用促進にもつながっていたと考えられます。

仏生山で続いた菊人形展は、昭和43年の開催を最後に庵治町のマリンパークへ移されました。その際の売却価格が300万円と、先の仏生山小学校創立百周年記念誌にあります。庵治町側では、その後もしばらく菊人形・菊花イベントが続いたとされます。当時の庵治町は石材業の繁栄、観光振興町おこしに力を入れていた時代で、集客イベントとして受け入れ余地がありました。ただし、こちらも長期的には全国的な菊人形衰退の流れの中で縮小・終了したと考えられます。

仏生山菊人形展は、単なる催しではなく、戦後の仏生山が「高松南部の商業中心」 「門前町」「行楽地」「娯楽拠点」であった時代を象徴するイベントでした。これを一手に仕切っていたのが、私の誕生と同じ昭和27年からの仏生山商工振興会だったと知りました。小欄でるる歴史を書いたのは、仏生山商工振興会が風前の灯火状態にあるからです。商店主がいなくなり商店街が消滅し、役員も高齢化しています。監査の印は押しましたが、神社氏子の消滅同様に仏生山商工振興会の消滅が現実のモノとなっています。

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