Since1888あの日の香川 早明浦ダム初の0% 「高松砂漠」平成に再来
四国新聞9月21日(月)11面の記事であります。まず1888(明治21)年の数字ですが、この年の12月3日に香川県が愛媛県から分県独立し、全国47都道府県が揃いました。しかし私は沖縄の返還が1972年だから、沖縄県が最後と考えていましたが、沖縄県は1879(明治12)年に琉球藩が廃され誕生していました。1888は香川県が誕生してからの、県内重大ニュースという位置づけかと思います。
ところでこのシルバーウィークも台風25号の影響で、全国的に線状降水帯が発生し都市部では冠水が続いています。そんな中でありながら、高知県早明浦ダムの水不足がいまだに続いているのですが、高松周辺の雨模様も早明浦ダムには好転の兆しがない(20日現在貯水率14.3%前日比0.6ポイント増)のです。そんなこともあり、地元紙が改めて早明浦渇水を取り上げています。
『高松砂漠』として全国に知られた、1973(昭和48)年の異常渇水。私は大学生でしたが、高松まつりに踊り連を出すと張り切っていたのですが、まつりは渇水のため中止となりました。その後、香川用水と早明浦ダムの運用開始で、香川は慢性的な水不足から解放されたはずでした。しかしおよそ20年後の1994(平成6)年の夏、またしても大規模な渇水が襲いかかるのです。都市化が一気に進んだのです。
『ヘイロク渇水』と呼ばれることになるこの年、早明浦ダムは記録的な小雨で干上がり、7月24日ついに初の貯水率0%を記録。万全と思われていた水基盤が、十分でなかったことを思い知らされる日となりました。最大で19市町が夜間断水や時間給水を余儀なくされ、高松市の応急給水所には炎天下の中、ポリタンクをかかえた市民が連日列をなした。
この年の6月、島原ライオンズクラブから『島原自動車学校の散水車』が、吉田・松尾さん両ライオンの運転で届けられました。1991(平成3)年12月、普賢岳火砕流被害で落ち込んでいた島原第4小5年生ら37名を、第5回高松冬のまつり招待した返礼のように私はありがたくお借りして、連日アパートマンションへ水を運びました。その後長男と二人で、散水車を島原までお返しに行きました。途中阿蘇山麓のお猿芸を見たり、楽しい数日間でした。
当時早明浦ダムの利水容量が0%見込まれる中、徳島県へ香川用水への分水協力を要請し、日量約15万トンの「善意の水」が初めて香川へ供給され、最悪の事態は回避された。しかし取水制限は11月14日まで続きました。今年もその位まで、長引きそうです。それでも今年の渇水は、ヘイロク渇水に比べたら本質的な違いがある。断水や時間供給などの不便は、一切ないのです。
渇水対策用調整池の宝山湖(三豊市)と、椛川ダム(高松市塩江町)が貢献してくれている。早明浦ダムの第4次制限下でも、断水はない。しかしこの先たびたび渇水が叫ばれことがあり、そのたびに市民生活で節水をする心がけが、一番必要になる。危ない綱渡りだが、水の氾濫よりはありがたい。