第4904回

佐竹文彰氏逝く

佐竹文彰氏(さたけ・ふみあき=マルヨシセンター会長)4日午前9時42分、腎不全のため高松市の病院で死去、75歳。徳島市出身。葬儀は親族で執り行う。喪主は妻睦子(むつこ)さん。後日、お別れの会を行う予定。

John Wanamakerに啓発され、徳島県内で小売業に携わっていた矢野憲作が1961年高松市常盤街に(マルヨシセンターの前身)(有)トキワフードセンターを開業。

1963年(後の社長)佐竹文彰が入社意思を固める。1970年組織をマルヨシセンターに改組、矢野は業績好調のさなか5年後の社長交代を提言。佐竹は社長を後継指名され、矢野は慈善活動に注力することとなる。私の知るところでは、市内中山町の喝破道場(野田大燈和尚)を、矢野氏は熱心に支援をしていました。

以上が佐竹文彰氏逝去の、ネット関連記事です。私は地元紙「四国新聞」で、死亡を知りました。やはり上場企業の経営者死亡記事は、早く世間に伝わるものです。ある証券関係者は、「マルヨシセンター株」が下がるかなとも予想していました。佐竹文彰氏が亡くなって、株高になる要素はありません。

私も佐竹文彰氏をよく知っているわけではありませんが、やろうとしたことは、経営者としてまた人間としても興味の湧くところです。まずスーパーマーケットですが、「良いものを安く」を徹底しプライベートブランドの品揃えにも腐心されていました。私自身も、品質のマルヨシセンターというイメージはあります。

良く比較されていたマルナカよりも、営業時間も長かったように思います。そして飲食部門ですが、一番の印象は、坂出大橋記念館横の海岸沿いに、「カサ・デル・マール」という魚介類を中心としたアメリカ西海岸のレストランを模した洒落た店を出していました。

高松港から、船で行ったのが強く印象に残っています。もちろん陸路でも行けますが、瀬戸内海の多島美を堪能しながら沈む夕陽を見ながらの時間はまさに至福の時間でした。度々行ける店ではありませんでしたが、県内のどこにもないような「いかした」店でした。残念ながら、2009年2月末で閉店しています。

このように飲食部門の最盛期には、13店舗を展開した同部門最大の業態・ブランドであったファミリーレストランの「ぐりーんはうす」を2009年3月末で全店閉店したのを筆頭に飲食から撤退しました。ぐりーんはうすは、盟友の渡辺 成剛(当時セーラー広告社長)氏から引き継いだものでした。まさに、ファミレスの走りでした。

現在はサンポート高松にある、レストラン・ウエディングも手掛けている「ミケイラ」と、高松市南新町にある「うどんや」のみの運営となっているようです。

この「ミケイラ」も、先の「カサ・デル・マール」のDNAを引き継いだ、実に良いレストランです。

佐竹文彰氏は、まさに時代の最先端を走った人と、私は理解しています。そうそう人の話では、佐竹文彰氏はラガーマンで、今のラグビー人気を喜んでいる?ラグビーでも、よく走ったのでしょうね。

75歳という若さは、ご子息に腎臓移植したことも影響しているかも知れません。いろいろなことに挑戦されて、悔いのない人生大往生です。ご冥福をお祈りします。

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