ひげの市長鐘ヶ江管一元島原市長死去



1990年長崎県雲仙・普賢岳噴火(6月)の際に、現場の総指揮官だった鐘ヶ江管一(かねがえかんいち)元島原市長が22日夜、肺炎のため県内の病院で死去された。80~92年、島原市長を3期努めた。「山が沈静化するまでひげを剃らない」と宣言し、私が高松栗林ライオンズクラブ幹事として市庁舎を表敬訪問(9月)した際にも、『ひげの市長』は矍鑠としていました。
鐘ヶ江管一元島原市長は、島原ライオンズクラブのチャーターメンバーで、その後の島原ライオンズクラブ65周年記念式典(2022年11月)でも、お目に掛かっております。普賢岳噴火からもう35年が経過し、時代は随分流れましたが、当時栗林クラブ幹事として島原市庁舎を最初に訪問したときのことは妙に覚えています。平井大資さんと二人で長崎空港へ降り立ったところから、島原LCの藤井四郎幹事がアテンドしてくれました。
市庁舎は古めかしい木造建ての建物で、廊下が板張りでぎしぎし歩くたびに鳴ります。長い廊下の窓下には椅子が並べられていて、紳士淑女が着座、その間を藤井幹事に遅れまいと私と平井大資さんが早足で続きます。多くの義援金持参者を尻目に、3人が市長室を目指してまっしぐら。最優遇のもてなしで、二人はたいへん驚きました。
用件はこの年12月開催の、『第5回高松冬のまつり点灯式に(落ち込んでいる)島原の子どもたちを呼ぼう』という壮大な計画案を持って、市長にも是非ご支援をお願いしたいという表敬でした。金銭的負担はまつり実行委員会ですが、市長の応援は大事です。島原ライオンズクラブの松尾錦二(委員長)さんや当時の会長幹事会計、ゾーンチェアパーソンらと話を詰めて、結果12~13人の島原第四小学生を、点灯式の壇上に上げたのでした。
それがご縁となり、高松栗林ライオンズクラブと島原ライオンズクラブは友好クラブとして34年にわたり親交を暖めています。3年前の島原ライオンズクラブ記念式典でお目に掛かり、90歳とお伺いしたと記憶しております。奥様保子さんが、介添え役で会場に臨席されていました。喪主のようです。語り尽くせぬ思い出が一杯で、何とも名残惜しい限りであります。これも世の常、ご冥福をお祈り申し上げます。