ブラジルサンパウロ滞在3日目



昨晩は、懇親会で泣きました。私も泣き虫ですが、臨席の山田進氏(ニューヨーク塾生)も負けていません。余興の部ですが、息子から父への手紙の朗読がありました。これには門外漢の私も、大泣きでした。息子さんからすれば、親父(母親もいる)の渡伯(ブラジル渡航)の動機や苦労を直接は知りません。塾長CDを聞いていた父親を見て、音楽CDが良かったのにと語る息子たち。だが・・・
50年前神戸港からサントスの港に着き、何も頼るものがなかったブラジルで、志を同じくする仲間が集い1993年に盛和塾ブラジルを立ち上げて約10年。ここブラジルでも、世代交代がはじまっています。中にはブラジルのバナナ王と呼ばれる山田勇次もいましたが、彼はジェノバ市長にも就任しています。余計なことをせずに経営に邁進せよと塾長に叱られそうと断りをしながら。
塾長も突然登壇されて、「感動しました。ありがとう」と涙ながらに一言。日本塾生が持ち込んだ日本酒も手伝い、涙が止まりませんでした。中にはポルトガル語で話す後継者塾生もいて、翻訳機も大活躍です。海外塾へ行くと、本当に日本人はとか、少し仰山に言えば「人間とは」と考えることに多く出会わします。
昨日の小欄の私の横の女性は、父親からの会社を継承し、450人の従業員の企業社長の西国さんです。自らも医者ですが、旦那様も脳外科医ということでした。流石医者の仕事はしていないという西国さんでしたが、あの若々しさで、男の厄年です。「日本人ですから」と肌つやの良さを説明していました。
先の日本酒も日本からのプレゼントでしたが、私はいつもの「顔せんべい」を持参しましたが、もう一つ「スカイツリー」で購入した長嶋茂雄氏の背番号入りのTシャツを1枚購入して持参しました。偶然エレベータで出くわした好青年に「あなたの父親にプレゼント」と渡しました。その父が、お礼に来てくれました。63歳で良かった。
本日は、9時から海外交流勉強会でした。ポルトガル語のブラジル塾生の次は、村田忠嗣塾生です。塾生は税理士法人の代表で、静岡塾㈱かいけい村の社長です。私との縁も多くて、50歳ですから明治大学の後輩です。そして先月27日からはじまりました「始動塾香川」の講師でもあります。しかし塾長は中座されました。イチジクがまずかったか。
昼からは早いもので、お別れ昼食会です。ブラジル塾生とはここでお別れです。懇親会の後は、ブラジル日本移民資料館とサッカーミュージアム、東洋人街を見学しました。慌ただしいのですが、先に帰る日本塾生とのお別れ懇親会も、19時からはじまりました。
会場は、ブラジル塾生高木和博さんの経営する「KAZUレストラン」です。160名が入っていることから、大混雑。その分熱く盛り上がっています。ところでこの高木さんは、私の「頸友(くびとも)」でもあります。私の一週間後に高木さんも大津市民病院で、木原先生の患者として手術をされました。でその後頸友と呼び合っています。
私はルール違反ですが、極近くに高木さんのラーメンやがあるというので、抜けて行きました。ダシは田所史之さんの味です。ところが麺がいけません。麺も田所製麺の商品のようですが、麺が二番手細くて、2分ゆであげが早すぎます。聞くといろいろ問題があるからと言います。ブラジル人はふうふうが出来なくて、完食までの時間が長い。だから麺のその経過時間を考慮して、最初に出た時には固いということらしい。
流石に抜けてラーメンを食べに行ったのは私だけでしたが、勉強になりました。さぬきうどんもそうですが、「固い」のと「力がある」という食感は別のじげんです。少し柔らかくて力があるのが、私の理想麺です。
頸友の高木さんも無理して、カーニバル嬢を入れてくれました。入り口には着物を着た日本女性を配し、途中にカーニバル嬢を手配し、2階に上がればカラオケが待っていました。渋谷さんも松山千春になっていましたが、私も日頃は歌わない「小心者」を唄ってバスに乗り込みました。