第3928回

香川県不動産近代化センター第33回総会

会長のスケジュールバッティングで、私が来賓として「祝金」を持参しました。私も別の組織に所属して執行部も務めましたが、この宅建協会会長から祝金は、貴重な雑収入で、総会資料の中にも見込みとして反映されています。要するにあてにされているのですね。

この会は、弊社の近所に事務所を構えていた吉川不動産さんが中心人物として結成されました。この後に「流通センター」が発足しました。当時を振り返っても、この会の発足は、画期的なものでした。名称が公的な組織と誤解されるとして、宅建協会から変更要請があったと聞いています。私が開業する前の話です。

私の開業が昭和56年ですから、1年前のことでそれにしても長く存続している任意組織です。当時はわかりませんが、現在は会員数13名で、あの共同広告を継続しています。驚きます。この時代は今のようにインターネットなどありませんから、親しい不動産業者間で情報の交換がなされ、新参者は暫く仕事が出来ませんでした。

そのために、売方仲介業者と買方仲介業者の他に、別の情報屋みたいな不動産業者が介在していました。その後、社団法人香川県宅地建物取引業協会の中に「香川県不動産流通センター」が当時の建設省の肝いりで全国に誕生しました。それを担保する媒介契約制度の法律化も、出来ました。一社独占の専任媒介契約を結んだ物件情報は、1週間以内に流通センターへ登録が義務づけられました。

これによって、私のような異業種からの新規参入組も、売り物件を登録することによって、見ず知らずの不動産業者さんが買い客を紹介してくれて報酬を得ることが出来るようになりました。しかしそれが日常化したのは、昭和60年代に入ってからです。

よって標題のような任意団体が、前後して県下に2つ誕生しました。私の偽らない感想ですが、2つは仲が良くなかったと思います。ある意味負けたくないという競争原理が、組織を強くして会勢を拡大してきたと思います。地元紙への共同広告は互いの会のシンボルでした。

創設者の一人吉川さんは既に鬼籍に入っていますが、本日また創設者の一人中井耕三さんが退会の挨拶をされていました。そういえば先月の宅建協会入会審査会の資料に中井耕三の退会があったような記憶がよみがえってきました。

伺うと、この近代化センターを退会することを意識し始めて一人に相談すると、慰留を言う会員が来て、「これはかなわない」と廃業を決めたと言うのです。中井さんらしいと言えば、それまでですが、任意の会を退会するために、廃業というのはこれ以上の究極の選択はありませんね。

会場は高松国際ホテルでした。久しぶりに復帰したという香川バンケットのコンパニオンさんがいて、安心しました。会長代理ですから最前列で、カラオケ四国一チャンピオンの宮西由香さんの歌も堪能しました。隣には、講師の松岡 良幸不動産鑑定士がいます。

先生曰く、100チームの野球チームがトーナメント戦を戦い優勝戦までに何試合が必要かと聞くのです。私も難しい公式があったように記憶していますが、子供は、「絶対に負けないチームは1チームだから99チームが負ける。だから99試合が必要です」と言うのです。この発想が今必要なのでしょうね。

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