第3877回

建国記念の日奉祝香川県民の集い日本建国2673年

5年前からこのように民間人を中心として、県下一同に介して参集し、国歌斉唱ののち遙拝(2拝2拍手1拝)をしています。先導は神社庁松岡弘泰庁長です。橿原神宮遙拝と呼ばれています。ごく一般的な参拝とお考え頂いたら、分かりやすいと思います。国歌斉唱は、高松第一高等学校合唱部の皆さんです。

木村大三郎会長の挨拶の後、浜田恵造香川県知事らの挨拶が続きます。挨拶が終わって、一部の幕が降ります。そして二部は、ドナルド・キーン博士の記念講演です。「日本文化の勝利」と題して、着座ながら1時間を越える長丁場の後援でした。これを聴きたいがために、県下一円から大勢が集まっているのでしょう。

ドナルド・キーン博士来県で、県民小ホールに一千人くらい入っていますか、入りきれないほどの人を集めています。記念講演がドナルド・キーン博士(正式日本表記キーン・ドナルド雅号鬼怒鳴門)氏は、今は帰化されて同じ日本人でございます。「日本文化の勝利」と題した演題について、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫など、具体的な作品を取り上げて話しをされました。

彼は通訳としての中国での職責を終えて、帰国する前に戦後すぐの東京へ立ち寄りました。焦土とかした東京は、都心へ入るほど何もなかったと言います。直接本土へ帰国せよとの命令でしたが、厚木に降り立ったそうです。敗戦後日本の再建は、50年はかかると言われていました。

谷崎潤一郎の細雪は、日本軍によって一部発禁になっていました。29年日本へ留学。白州二郎が司会の会議がありました。日本人はもう立ち直れないと言っていた。むしろ外国人が、元気づけていたとのことでした。

戦後すぐの東京は、応仁の乱の後の京都に似ていたと言われていました。建物はいくつか残っていましたが、人心はそれ以上に荒廃していました。そんな中で、食べるものはなかった日本ですが、文学は黄金時代でした。

戦後日本の新しい文化の誕生です。谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成そして新人の三島由紀夫が台頭してきました。めざましい活躍でした。良い本が出版されはじめました。また哲学者、西田幾多郎の本が売れていました。こうして日本文化が、今日の日本を作る原動力になったのです。

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