皇紀2672年建国記念の日奉祝香川県民の集い


3・11東日本大震災から丁度11ヶ月目の今日、震災後初めての建国記念の日です。いつもの年より、重い意味を感じます。折しも天皇陛下が東大病院に入院されて、心臓疾患の治療法の検討がなされ、発表があるように報道されています。心配です。
今上天皇陛下は、11歳で敗戦を迎えられました。日光に疎開していたそうです。平成2年に文藝春秋社から上梓された「側近日誌」によると、(中略)今の日本はどん底です。これからはどんなに苦しくなっても、このどん底から這い上がらなければなりません。
それには日本人が国体護持の精神を堅く守って、一致して働かなければなりません。今までは、勝ち抜くための勉強、運動をして来ましたが、今度からは皇后陛下の御歌のように、つぎの世を背負って新日本建設に進まなければなりません。それも皆、私の双肩にかかっているのです。
それには先生方、傅育(ふいく)官の言うことをよく聞いて実行し、どんな苦しさにも堪え忍んで行けるだけのねばり強さを養い、もっとしっかりして明治天皇のように皆から仰がれるようになって、日本を導いて行かなければならないと思いました。以上が11歳の今上天皇陛下の昭和20年の日記内容です。
建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」は、正式には「紀元節」と言います。「日本書紀」によれば紀元前660年(西暦)に、初代神武天皇が橿原宮で即位したのですが、この「神武天皇の御即位」の日をもってわが国の国づくりが始まった「紀元」と定められ、この建国の物語はその後も日本の歴史の中で連綿と生き続けたのです。
明治維新後の日本を纏めるために、明治5年に政府の文部省天文局が、太陽暦である現行暦の2月11日にあたると算出し、宮中でも祭祀が執り行われました。また、明治22年には、この2月11日に大日本帝国憲法が発布されたため、憲法を記念する日にもなったのです。今日の第2部、「日本の建国と発展の底力」京都産業大学教授所功氏の話しや資料からの引用です。
戦後昭和22年に、新しい祝日案がGHQの命令で作られたのですが、2月11日の紀元節だけは拒否されたのです。昭和23年国民の祝日9案は紀元節を除いて、制定されました。昭和27年4月28日講和条約締結で、日本は独立国となりました。前後して紀元節の復活が声高に唱えられていました。
そして昭和41年6月に、敬老の日(9月15日)と体育の日(10月10日)と抱き合わせで建国記念の日が制定される気運が広がったのですが、社会党など反対する勢力がまだまだ跋扈(ばっこ)していて、建国記念の日は決定に及ばなかったのです。社会党は5月3日を、公明党は4月28日を主張したそうです。
世界を見渡せば、殆どの国々が王朝を次々と交代させたり断絶させたりした中にあって、日本が奇跡の継承を護り通すことが出来たのは、私たちの祖先が建国の物語と万世一系の天皇陛下を戴くことに畏敬の念と誇りを持ち続けたからに他ならないのです。
所功氏は日本の再生に向けて、「現代社会の価値観を考え直す」ことを訴えています。(中略震災と東電事故をうけて)しかし、その責任が政府や東電にあるとしても、それを非難するだけで終わってはならない。そのような内閣や国会の議員を選び出してきたのも、また電力などを売買し大量の生活活動と贅沢な消費生活をしてきたのも、他ならぬ私ども国民だからである。
そこで、改めて現代社会を覆う価値観を省みると、「民主政治」や「貨幣経済」を過信してきたことに問題があるのではないか。民主政治も貨幣経済も、その実態を直視すれば、現在の自分に有利か否かを考え、票数や金額の多少で割り切る。
そのため、過去(先祖)も未来(子孫)も考慮しない刹那(せつな)主義、また社会(他者)にも環境(自然)にも配慮しない利己主義に陥り易く、往々にして質(内実)よりも量(外見)によって良し悪しを決めてしまう。
もし、このような現代社会のあり方が、今回の人災を招いた要因(少なくとも背景の一因)だとすれば、これを機に大前提としてきた価値観を考え直す必要があろう。所さんの話しは、分かり易く、納得が出来る。現代人の驕りが、東電などの電力会社の過大な必要感と期待感を作り上げてきた。
今日の最後は、聖寿万歳でした。万歳は手を内側にして、向かい合うように上へ上げるのが正統派のようです。万歳は三唱で盛り上がりました。