第3453回

辛亥革命から100年孫文と梅屋庄吉

第12回アパマンショップネットワークの特別講演に、「革命をプロデュースした日本人」著者・小坂文乃(梅屋庄吉曾孫)氏が登場しました。孫文は革命を10年間もやり続け、辛亥革命をもって当時の清朝を倒して民主主義革命をなし遂げた人です。

辛亥革命で中心的役割を果たした孫文は、その革命生活の3分の1(約10年)を日本ですごしています。日本人として初めて孫文に出会った梅屋庄吉は、「君は兵を挙げよ。我は財をもって支援す」との盟約を交わし、生涯その約束を守り抜いた人物です。

浅学な私は、恥ずかしながら梅屋庄吉なる人物を知りませんでした。梅屋庄吉は日本の映画草創期に成功を収めた人物で、日活の創立者でもあります。上海などで写真館を経営し、辛亥革命も、はじめての南極大陸の今で言うドキュメント映像も撮影しています。

当時はあの坂本竜馬の写真のように、スタジオ撮影があたり前でしたが、大きなカメラを抱えて、結婚式場など駆け巡り、人々に喜ばれていたと言われています。自由な別天地長崎生まれのDNAからか、大変なアイデアマンだったそうです。

梅屋庄吉は、明治元年に生まれていますが、孫文と出会ったのは27歳、香港での出会いだったそうです。また梅屋庄吉は東南アジアのインドとかインドネシアとか、中国以外の国の民主化活動者の心の支えでもあったようです。逆に言えば、その国の反逆者達ですが、彼らはみんな日本で革命達成への密談をしていたようです。

孫文は59歳、2歳年下の梅屋庄吉は65歳まで生きています。梅屋庄吉の葬儀告別式には、蒋介石総統からも花が届けられたそうです。また中国と中華民国の仲は、われわれ日本人が考えているような犬猿の仲でもないようです。

福田首相の時、日中の関係が今より良好な頃2008年5月、10年ぶりの胡錦濤国家主席の来日でも、日比谷松本楼を訪れています。松本楼に、孫文と梅屋庄吉の刎頸の友の証が保存されているそうです。本日の講師小坂文乃さんは、日比谷松本楼の常務取締役企画室長です。

梅屋庄吉の座右の銘は、「富貴在心」。革命資金を提供し続けた梅屋庄吉は、子孫には財を残さず、心のあり方の大切さ陰徳を積むことであると説いています。また孫文は「積善家」の揮毫を松本楼に残してあるそうです。明日は松本楼へ行ってみますか。

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