天皇がはじめて軍服を着た明治時代
NHKが恒例の大河ドラマの終了を早めて送る、「坂の上の雲」。司馬遼太郎さんが10年かけて取材し書いて、昭和43年から47年まで産経新聞に掲載された原作を映像化したものです。
司馬遼太郎さんは、元産経新聞記者。その後平成11年から半年間集中して、「今読み返す坂の上の雲」と題して再度連載されました。平成11年は1999年、翌2000年は平成のバブルと言われる「リーマンショック」が起こった年です。少なからず日本も浮かれていた時代です。
「坂の上の雲」の映像化は、司馬遼太郎本人も大変嫌っていたと言われ、現に一度も映像になっていません。長編であるが故に、コンパクトに伝える映像化では意が伝わらないと拒んだものです。ややもすると、戦争を美化することにも使われかねません。
その意を受け継ぐ夫人も、NHKや時の中村時広松山市長の申し出を頑として断り続けていました。しかしその結果がこうして、平成21年11月に続いて「坂の上の雲」の映像化第2段が、今年12月に再現なっているわけです。夫人には感謝申し上げます。
日本はこれまでの殆ど全ての制度を捨てて、明治維新という大革命を最小限の流血で成し遂げ、欧米列国に号して行くという第一歩を踏み出しました。近代国家へのスタートであったわけです。この時はじめて天皇は軍服を着て、以後昭和20年の終戦まで、その着衣が続きます。
皇室の長い歴史の中でも、天皇が戦いの格好で長年暮らすというのはこの明治大正昭和(20年まで)の御代だけです。征夷大将軍を任命して、その者等に治安を任せるのが平常でした。司馬遼太郎の描く明治時代は、天皇が軍服を着て国民と共に闘った時代でもあるのです。
ドラマは、物ではなく人にスポットライトを当てて創られています。俳句界に大きな足跡を残した正岡子規、日本騎兵隊の生みの親、兄の秋山好古。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した連合艦隊参謀、弟の秋山真之。
明治維新を遂げ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せきを切って先進国に追いつこうとしていたのです。日清戦争勝利から約10年後の明治37年2月、日露は戦端を開いたのです。続く38年5月27日早朝から、日本海軍はロシア帝国の威信をかけたバルチック艦隊と日本海にて闘います。
この豊穣の世に、余っている物は放射能など無用な物ですが、本当に足りない物は人の心なのかもしれません。