石巻は復興へ歩を進めています





余震の心配もどこへ、よく寝ました。前の晩とその前もあまり寝ていないのと、嘉二一家の無事を祝って地元の酒を冷やで飲みすぎました。放射能防御策として、日本酒の生酒が良いと藤原直哉氏が言っていました。私は科学的な根拠で、日本酒を飲んでいます。となんか言って、飲んべーは困ったものです。
控えめに指で数えても。10時間は寝ていた計算になります。誰彼となく、「大いびき」だったと言われてしまいました。一つの家に、6人が寝ていますから、いびきは大きく響くようです。震源は2~3ヶ所、時間差で発生していたようです。余震とどちらが迷惑だったでしょうか。
途中で妻や佐伯博英さんから電話があった記録が残っていますが、全く気がつきませんでした。ここにいると不要不急の電話は、どうしても控えるようになります。掛かってくる電話は、仕方なく取りますが、どうしても簡単な会話になります。もともと電話で長話するタイプではありませんが、一層無愛想になっています。生意気そうに聞こえることでしょう。
携帯電話の電源は、単3電池2本で充電の出来る簡単な機械を買い求めて持参しました。これは喜ばれました。私のパソコンは充電式ですから、そう長くは電源が持ちません。液晶画面を暗くしている関係で、写真の善し悪しは、よく分かりません。暗い絵ですから、それも良いかなと考えています。
今日は朝から、昨日の続きの作業をしています。瓦礫(がれき)やコンクリート片、所謂災害の土産を片付けています。ボランティアが入っていますが、これは大変喜ばれています。私もここへ来る前に、石巻市のボランティアセンターに連絡をしましたが、自分の日常(食事や睡眠)は自分で確保できるなら来て下さいと言われました。
もう暫くすると大学生ボランティアが帰ってしまいますが、1学期はもうボランティア活動で「優」を出したらいいじゃないのかな。人手は、いくらでも必要です。ゴミ捨て場も数回行きましたが、重機が慌ただしく動き回っています。石巻市長の予想では、100年分のゴミが出そうだと言っています。
昨日の日記にも書きましたが、道路は通行が出来る状態に回復しています。雪国ですから、道路幅員も西日本地方の都市のものと比べたら、2mは広いと思います。両サイドには、まだまだ瓦礫の山です。車の上に、家屋が倒壊しているところも、極端に言えばあちこちで散見されます。私も驚かなくなっています。
昨日から片付けた魚の販売店(小さな市場スタイル100坪くらい)は、今日電気が通じて、仙台で仕入れた魚類を販売するようです。店舗が集中しているところの一角ですから、魚を売りながら昼飯の提供などすると、また一歩復興の力となることでしょう。
ここではあり得ないことが現実に横たわっています。福島原発の事故レベル7という報道も、石巻の人を一層暗くしています。菅直人首相が来て、漁港を一点集中で復興させると宣言したそうですが、私の耳には、むなしく響くだけです。
ここに暮らす人に比べるまでもなく、私は幸せな人間です。少しくらい役に立ち、ましな人間になって死にたいものです。そのために、讃岐へ帰って精進する決意を強く持って帰ります。
みなさん、一番良いのは若い人のボランティアです。人手は足りません。まだまだ瓦礫が散乱しています。脇道にも、生活廃材が山積みです。高松で例えるならば、平成16年の、高潮被害の時のようです。どうか自分の出来る範囲で、援助を御願いします。