震災から一ヶ月目被災地の石巻に入れました










四国中央市から車を飛ばして帰宅し、かねてより用意していた荷物を担いで、今度は飛行機に乗ります。荷物が多くて、いつものように簡単には搭乗できません。特にガスの取り出しを指示されるなど、予定通りには運びません。
羽田までは順調でしたが、新宿から仙台への高速バス乗り場が間違って、あわやという場面もありましたが、23:35分仙台行きのバスが新宿の西口ビル群の間から出発します。
ここまでが昨日の様子です。早朝福島駅を経由して、仙台駅へバスが到着しました。隣席の学生さんに、いろいろ教えてもらえました。彼は就活のために上京していたそうです。自宅の隣の龍満君に感じが似ています。なかなかの好青年です。バスにトイレがなくて、途中でトイレ休憩があることも手伝って、眠ることはできませんが、寝言で叫ぶ青年もいました。
ここから仙台行きのバスに乗ります。高速道路は大変な混雑です。石巻方面へ出る車が多いように感じます。それでも1時間半ほどで、石巻へ到着しました。最初のバス停が「石巻イオン」ですが、このあたりは被害がないようです。私は石巻駅まで乗ります。駅の次は、ボランティアの基地がある「専修大学キャンバス」です。
石巻駅で、宮本嘉二と兄さんと再会しました。生きていて良かった。水産会社の大きな冷蔵庫の上で津波に耐えたと言うことでした。「水が冷たかった」とぽつりと言うだけです。もともと口数の少ない男ですが、一層無口になっています。
観光地巡りではありませんが、被災が酷い海岸沿いの様子を展望台から見ています。言葉で表す術を持ちませんが、報道されている絵と、現場で見る現実とは、予想以上の差があります。道路や橋はがれきが撤去されて、自転車や車もほぼ自由に通行出来ています。
彼の会社も実家も、津波被害で、復興の見通しもありません。自宅だけは1階が土砂で埋まったものの、2階で生活することが出来ていました。被災から一ヶ月を経て、1階も使用できるようになっています。電気は全く使えません。カンテラが数個、陽が落ちると、家の中もどうしても薄暗くて、動きが少なくなります。
水は命として、給水車が来たらみんなで水汲みです。私も行きました。おんな子どもの家庭へは、宮本家からボランティアが出ます。宮本家は本人夫婦、兄夫婦、実母、安部ちゃん(自分では居候と言っていましたが社員さん)と、人手が多い方です。
炊き出しも給水地と同じ所に、民間ボランティアがたまに来るようです。北海道のおじさんは、二度目で人気者です。大規模な避難所では、炊き出しも1人では供給できず、ここは100人ぐらいで、自分の出来る範囲に収まると言ってここへ来ています。
香川県から、香川県中小企業家同友会中讃第2支部の有志が、うどん玉1万玉を持って三陸へ来ていると聞いています。代表幹事の1人、野田勝利さんに電話しました。陸前高田で活躍しているようです。現場では、さぬきうどんが大好評のようです。ここ石巻からは遠くて、応援は難しいですね。
昼からは実姉の店舗の片付けにボランティアです。ここは、下町商店街の中心地にあります。ここで2mの水位跡が残っています。姉さんは近くの山へ逃げたそうです。向の花屋さんのおばあさんは、残念ながらなくなったそうです。
夕食中に、「宮本応援団」からの荷物が届きました。団長の湯川正が当番で、贈ってくれた物です。段ボール4個も、1個はアサヒビールのケースです。これは大変歓ばれていました。私が持ち込んだ清酒「梅錦」も、兄さんに喜ばれました。私は地元の銘酒を頂き、今日はこれまで。いまでも余震が続いています。