第3046回

鹿児島ぶらぶら

7時からの朝食会場は、半分以上が韓国からのお客様です。昼から高松へ帰りますが、平田喜一郎さんの計画は、昼食までは現地を堪能するというスケジュールです。ホテルを出るとタクシーが待機しているという、そういう構図が、全国塾長例会2日目香川塾一行の定番です。

今日はまず、「薩摩藩主島津家の別邸磯庭園【仙巌園】」へ行きました。鹿児島の歴史は島津家ですが、なんと島津家は源頼朝の血筋を継承した戦国武将でした。77万石外様大名とばかり思っていた私は、ここでまず目から鱗、来てみないと分からないことを痛感しました。

徳川幕府が開かれる400年前もから、島津家は鹿児島を統治していたのです。まずこれにビックリ。二つ目は、南蛮との密貿易が、鎖国と言いながら長く続いていたこと。これはある程度徳川幕府も認めていたようです。三つ目は、「金」がとれること。佐渡の金山が有名ですが、その数十倍の金を産出していたそうです。四つ目は、1865年19名の若者を奄美研修と偽って、イギリスへ送り込んでいたことです。

19人の使節団は、国禁を犯して英国に渡り、西洋文化を吸収して明治維新後の近代国家形成に貢献したのでした。初代文部大臣の森有礼(ありのり)。この人が運動会とか、徒手体操とか、今日の「楽しい」の骨格を作ったのだそうです。またサッポロビール創始者の村橋久成。この人は東京周辺ではダメと言って、北緯30度(ミュンヘン・ミルウォーキーと同じ)にある北海道に拘ってビール工場を作りました。

さらに東京開成学校(東大の前身)初代校長の畠山義成、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚(ともあつ)…。そうそうたる面々だったのです。しかしこれは、挫折から始まりました。生麦事件や薩英戦争で、イギリスの国力をまざまざと見せつけられて、若者19人は、敵国イギリスへ渡英したのです。

この頃は、既に両方とも和睦をして、相手の存在を認めていたようです。その内の17名の銅像が、鹿児島中央駅前に完成しています。鹿児島出身でない二人が除かれていることが、大きな話題になっていました。

近代史を学ぶなら、3月12日に博多から新幹線が続く、鹿児島が適地です。あの坂本竜馬も80日間、鹿児島へ滞在し、霧島などへも足を運んだそうです。食べる物も美味しいし、気候も暖かい。桜島も最近はおとなしい。ただし「酒」は「焼酎」ですから、あなたが「日本酒党」であるならば、「日本酒」と言わないと出てこないかも知れないのです。

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