第2568回

日本農業新聞に子午線物語が

日本も北から南までかなりの距離があって、時間の概念はその土地の「地方時」で管理されていました。しっかりとした地方時が確立したのは、江戸時代と言われています。

太陽が真南に来た時が正午です。江戸時代には高速移動の手段は馬ぐらいで、庶民にはさほど関係なかった訳です。隣の村の正午との誤差は、全く気にならなかったのでしょう。

それが明治に入って、全国的な共通時間が必要となってきました。そこで電信局は東京時刻を、気象台は京都時刻を正式に使い始めました。

そんな折の1884(明治16)年に、ワシントンで国際会議が開催されました。ここで現在のような、英国グリニッジ天文台を通る子午線(経度0)を基準とし、子午線から15の整数倍の地方時を用いることにしました。

そこで日本でも123年前7月13日、つまり今日から勅令によって東経135度の子午線が通る兵庫県明石市の天文台を日本の子午線として採用したのです。つまり明石の地方時が、日本全国時となったのが123年前の今日ですって。

今日は昨日の東京都議選で、第1党の自民党が惨敗したとうるさく報道されている日、だけではないのですね。しかし7月12日という日は、未来永劫東京都議選で自民党が惨敗して、民主党政権が出来るきっかけとなった記念日として報道されることでしょう。

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