第1944回

島原ライオンズクラブ結成50周年記念式典

5年ぶりに島原へ来ました。普賢岳噴火の平成3年の秋に来たのが初めてで、もう5回目です。島原は私の、ライオンズ関連で広がった心の故郷です。

平成3年「高松冬のまつり」へ、島原の普賢岳災害で落ち込んだ子供たちに、イルミネーション灯りを見せて子供たちの目の輝きを取り戻して貰いたいと考えて、そのプロジェクトは冬のまつり実行委員会から発案されました。

当時のクラブ幹事の私は、浅田善太郎会長と相談して、命題(島原の子供たちを点灯式に呼ぶ)というこれまでにないスケールの大きなアクティビティに挑戦し始めました。

いろいろのルートを模索しましたが、万策尽きて、地元のゾーンチェアマンに相談に行きました。ライオンズ業界の市長です。そこから島原のゾーンチェアマンに趣旨が伝わりました。

島原ライオンズクラブからは、「話を聴こう」という意思表示を頂き(実は島原ライオンズクラブ選出のゾーンチェアマンの強い意向でノーが言えなかったのが真実だったようです)、幹事の私と、良識派の平井大資さんが交渉係として島原を訪れました。9月に入っていたと思います。

長崎空港に降り立った二人を迎えたのは、島原ライオンズクラブの会長幹事でした。そのまま島原市庁舎の、髭の鐘ヶ江管一市長を訪ねました。

全国から義援金を持って、男女が椅子に正座して「お呼び」を待っています。その間を抜けて、市長室に藤井四郎幹事が誘います。沢山の義援金持参者がお待ちの椅子の間を、すいすいと進みます。

藤井四郎幹事の目配りで、鐘ヶ江市長がわれわれと会談します。島原市としては、具体的な支援はできないが、応援はしたいという言葉を頂いたのです。市長も島原クラブのメンバーです。1市1クラブで、この頃は120名余のメンバーでした。

島原ライオンズクラブメンバーとの会談は、「栗林ライオンズクラブが来高費用のすべてを持つ」という私の発言で大きく前進しました。前日までに、浅田善太郎会長から、「費用は私が何とするから」という明言を貰っていました。

こうして平成3年12月24日(土)、11時からの島原第四小学校の壮行式で、25名の代表が激励を受けて、高松の第4回高松冬のまつり点灯式参加を目指して移動が始まりました。

島原第四小学校を出発したバスは、高速道路を一路「福岡空港」を目指します。そこから当時の、東亜国内航空の高松便に搭乗します。高松空港からは、「平井タクシー」が子供たちを高松中央公園へ運びます。

そうなのです、18時からの点灯式に横から滑り込み、彼らは立派に舞台を務めてくれました。

私の仕事は、これで完遂しました。その後は歓迎例会です。子供たち25名に対して、島原ライオンズクラブメンバーが13名引率してくれました。事務局の梅林薫さんも来てくださいました。

その後、高松栗林ライオンズクラブの結成30周年記念事業として、「友好クラブ提携」を行いました。会長は今の4R・RC塩田博志です。

昨日の前夜祭では、姉妹友好クラブの中でも最優遇の歓待を受けました。奥様も参加されていましたが、総数は120名もいました。

本日は11時から記念式典です。式典は400名の参加で、参加クラブの紹介だけでも10分近く掛かっていました。それでも式典時間は1時間で終わりました。すばらしいしまった式典でした。

今度は島原から、4月27日の高松栗林LCの45周年式典へメンバーが来高されます。事務局の梅林薫さんも、会長におねだりをしているようです。

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