第1847回

法然寺五重塔建立計画

地元仏生山町に、高松藩松平家菩提寺の来迎院「法然寺」があります。地元活性化対策としても、法然寺のにぎわい復活が期待されています。門前町の町風を残しているということから、高松城(天守閣の再築がはじまっています)からこの法然寺まで約8キロありますが、仏生山町に入ってからの「おなり街道」沿いの町並みは、高松市の「仏生山歴史街道都市景観形成地区」に指定されています。

法然寺の山号「仏生山」は、お釈迦様の遺骨(舎利(しゃり))が山頂の般若(はんにゃ)台(だい)より出土したことから名付けられました。

江戸時代の文書「仏生山霊宝略記」によると、高松藩初代藩主・松平頼重公(龍(りょう)雲(うん)院殿)が法然寺建立に際し、夢告により発見したとされています。1693年頼重公は、舎利厨子をしつらえ法然寺に寄進しました。それを今から作る五重塔の、一階部分に安置する計画です。

本日は「墓地世話人会」が開かれ、法然寺境内に墓を持つ家庭の、負担金の集金について周知がありました。私も自治会の法然寺担当ですから出席して、いつもの明細をお預かりしました。

この10年間、冥加料(みょうがりょう)を集金して、墓地の整備が行われてきました。もともと檀家が松平家だけですから、これでは生活が成り立ちません。町内及びその周辺の町家の墓所として、たくさんの墓があります。5,000円から20,000円までのようですが、年間使用料ですから、やすいものです。第一ヤブ蚊がいなくなりました。ここの蚊は、子供泣かせでした。だから「蚊にかまれてパー(日本脳炎)になるから・・・」と、墓参りを嫌がっていました。本当はテレビ番組を見たいがために。今の子はこの理由は使えません。

その席でのもっぱらの話題が、先の五重塔建立でした。総高25メートル余、奈良吉野産檜造りの五層建築物です。来年4月に起工式をして、2年間かけて完成という計画です。

中の回廊に安置する「千躰阿弥陀仏像」は一躰十万円です。私も少しは寄付をしなくてはと考えています。頼重公のおくり名である龍雲(りゅううんと発音します)を冠した、社会福祉法人龍雲学園の舜虹園へ母は週3日ほどお世話になっています。

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