久保喜治さんの墓所を訪ねる朝の散歩
室内のウオーキングマシンが壊れて、修理が来週になるという連絡と部品が宅配されてきた。毎日どのコースを散歩するか、悩むところであります。今日は、進路を北にとって、仏生山町と出作町の境にある『新田墓地』の久保喜治さんの墓を訪ねてみました。久保さんは昭和4年4月生まれ、私より23歳年上で、不動産業界の大先輩で親みたいな人物でした。
今年95歳の誕生日を迎える前の3月31日、老衰で死去されました。享年96歳の長寿。既に生前葬をクレメントホテル高松飛天の間で賑々しくおこない、葬儀は家族葬で、私も参列していません。生前良く口にしていたのが、「14歳で少年飛行兵に志願して、お国に奉仕した」。滋賀県の大津陸軍少年飛行兵学校跡地に、記念碑があり、確かに久保喜治の名前がありました。
高南支部研修旅行のバスで通りがかりに突然立ち寄ったモノでしたが、石碑にその名前があり、大歓声が沸きました。晩年のひねた顔からは、今日の墓石に貼り付けてある当時の写真は、想像がつきませんが、志に燃えた少年がそれも滋賀県という遠隔地まで志願して行ったのです。どうしたことかその後彼は、共産党支援で動いていました。「俺に勲章くれ」と叫んでいました。
またこの『新田墓地』は、名前の通り仏生山町の北の端にあり新田開発が行われたところだと思いますが、その昔は焼き場があり、わが父親もここで荼毘に付されたと記憶しています。私が10歳の年であり、良く覚えていませんがこのあたりまで自宅から歩いてきたと思います。触れて貰いたくない記憶で、自らも封印しているところもありますが、久保さんとご縁があるところです。
散歩は、車道から自由に細道に入れます。このあたりは、農道水路が四方八方につながっています。これを利用したら、目的方面へは自由に行くことが出来ます。さて久保喜治さんが生前につくった墓碑ですが、金属加工した写真や文章が刻まれています。墓石では無いようで、納骨が出来ない仕掛け構造ですが、本人は自分の生きた証が欲しいと相談され、現状のようなモノに仕上がっています。
吉永小百合さんの写真を貼るのだと主張していましたが、小百合さんは見当たりませんでした。辞世の句らしきモノがありました。『赤トンボお前も来たか墓参り』。このところ妙に、この年代に人に惹かれます。父親は、25日が命日であります。入れ込むと、「おいでおいで」と言われても悩むところです。