出雲の神様by羽賀ヒカルその弐

私が、近年面白かった筆頭本として紹介している『出雲の神様』の二回目です。神社総代に就任して慌てて可及的速やかに『神社』を知ろうと、模索しています。この本の冒頭に、神社の神様に応援される秘訣は、神様と同じ『目的』を共有すれば良いとあります。神様の立場になって考えてみると、「成功したい、儲けたい、御縁がほしい、勝ちたい、合格したい、結婚したい・・・」といったように、勝手気ままな願い事ばかり一方的に訴えられても、なかなか協力する気持ちになれないでしょう。
「私も神様とご一緒します!」、「神様のお役に立てるように、喜んで協力します!」という意気込みで参拝する人に対しては、神様のほうも喜んで力を貸してくださるのです。ですから、神社で真の功徳を授かるには、まず神々の『目的』を知らなければなりません。『目的』は目標とは、違います。あらゆる『目標』は、本来、『目的』のためにあります。経営実務では、目的は理念、少しはお役に立ちたいとか、そのために今年の売上目標は1億円とか。
二千年以上前の話です。日本には二つの部族がいました。イズモ族とヤマト族。もともとは一つだった部族が、二つに分かれて戦いました。それまで、この国は平和でした。争いなんてモノは存在しませんでした。しかし、あることがキッカケで、その戦いは、始まったのです。それは、あまりに悲しい戦いでした。日本人同士で戦い、傷つけあい、多くの血と涙が流れました。
勝利を得たヤマト族でさえ、多くの痛みを伴い『犠牲』を払いました。そこから日本人の、『悲しみ』『絶望』の世界が生まれたのです。今の日本は一見、平和に見えます。しかし今尚その戦いは人々のココロの中でつづいています。すべての『苦しみ』のはじまりは、そのときから・・・。
あなたのなかにも、イズモ族かヤマト族、いずれかの血が流れていて、彼らより託された『バトン=魂の記憶』を受け継いでいるのです。人々のココロのなかの『戦い』が終わるとき、その哀しい歴史に終止符が打たれるでしょう。本書を読みながら、あなたのなかに眠る、神話(イズモ族とヤマト族の記憶)に思いを馳せてみてください。きっと、その瞬間から、あなたの運命は変わりはじめるでしょう。
すこし観念的・哲学的な領域に入りますが、意識には、大きく分けて三つの階層があります。表側が、『顕在意識』。その裏側が『潜在意識』。広く果てしなく、甚だ深く、それを抱え込むように存在するのが『無意識』です。これは、海に浮かぶ氷山に例えられます。海から浮かんで見える氷山の一角が、顕在意識。海に沈んでいる氷山が、潜在意識。海は、無意識という関係です。今どきで言うと、CPU(パソコンの頭脳)が、顕在意識。メモリーとハードディスク(パソコンの記憶倉庫)が、顕在意識。インターネットが無意識、という関係です。
『神社参拝は運命を変える』で、羽賀ヒカル氏は、人が「変わろう!」と思ってもなかなか変われないのは、オモテの潜在意識と、それをウラ(裏側)で支える潜在意識が原因だと言う。さらに言えば、顕在意識、潜在意識が変わらないのは、無意識からの応援がないからです。このように神社参拝の効用を、縷々書き連ねています。
なかなか面白さを伝えきれないもどかしさを感じていますが、極めつけを一つ。遡ること、1万2000年前の話。この頃は、地球規模の大洪水がありました。地球は、壊滅的な状態になりました。大洪水がおさまり、大気が安定して、地球が比較的温暖な気候になると、日本で最初の文明が始まりました。それが縄文時代です。あるとき、縄文時代の人々はもしかしたら、西に理想郷があるのではないかと考え、大移動をはじめました。
日本人たちは、二つの部族に分かれて西を目指すことになりました。足に自信がある部族(イズモ族)は大陸を通って、航海術に長けていた部族(ヤマト族)は海を渡って西に向かい、紀元前3500年頃から栄えた中東の都市を作りました。シュメール文明のシュメール人とは、古代日本人です。二つの部族の長であるスサノオとシュメルミコトとを頂点として、メソポタミアのあたりで文明が築かれていきました。
赤道に近いその土地では、日中は強い日差しで、夜は凍えるほどの寒さになります。彼らは部族間で話し合い、日本に戻ることにしました。これが紀元前2000年くらいのことで、突然シューメール文明は滅びました。紀元前2000年にシューメールを出発し、やっと日本へ戻ってきたのが紀元前400年から500年。およそ1500年かけて、ようやく彼らは日本へ帰り着いたのです。
先に到着したのが、シュメルミコトを頂点とする海を渡って帰ったグループは、九州に降り立ちやがて大和朝廷を築いたヤマト族です。大陸を横断して帰って来た人たちは、今の島根県のあたりに辿り着きます。出雲の土地です。彼らはイズモ族です。漫画みたいな話ですが、これだとユダヤ教が早くから日本と交流があったという説や、皇室がユダヤと関係性が深いというのも理解できました。こんな途方もない話が、『出雲の神様』に綴られています。神とはこのように理解しがたいモノかもしれないが、そのまま飲み込めば良いのかもしれない。