心配しながらのLC第1445回例会L塩田博志の米寿を祝う会
恒例の正月例会が、料亭二蝶で予定通り開催されました。またここへ来て、新型コロナウィルスの感染拡大が広がり、県内でも1日3千人を超える感染者が出て、過去最多の第8波かと心配されています。ライオンズクラブも、その渦中で運営に苦しんでいます。
特に高松栗林ライオンズクラブは4月(16日)に、結成60周年記念式典を控えています。コロナの終焉を迎え、盛大な開催になると構想は広がっているのですが、ここへ来てまた怪しくなっています。しかし担当者は運を天に委ねて、迷わず準備するだけです。私は60年史年表を担当し、いろいろ勉強になりました。高松栗林ライオンズクラブの部是は、『青少年の健全育成』だと、改めて確認が出来ました。
そんな中ですが、正月第一例会は『(米寿)を祝う会』として、盛大に祝うのを恒例としています。本日は、L塩田博志が数えの88歳を迎え、彼の挨拶の中にもありましたが、過去に日野自動車のL丹野正弘、25代高松冬のまつりを始めた会長・L加藤直太(塩田博志幹事)、チャーターメンバーL大住省司、29代会長・L浅田善太郎(私が幹事)と、これまで先輩の祝う会を見てきたと言います。
『ここ二蝶の大広間で大勢のメンバーに祝って貰いたい』、L塩田博志の挨拶でいみじくも語られた『想い』は、今日ここに駆けつけたメンバー全てが抱く夢かも知れません。L塩田博志は39歳という若さで入会し、米寿など他人の出来事と考えてライオンズライフを過ごしてきました。更に私は、29歳で入会しました。L塩田博志ほどではありませんが、大勢の先輩の背中を見てきました。
同じく塩田氏の弁の続きですが、「ライオンズを長くやるには、一に健康、二に多少の金銭、三は家族の理解協力」だそうです。ライオンズクラブは、1917(大正6)年6月7日米シカゴで産声を上げています。アメリカ式ですから、節目事に夫婦同伴が期待されています。シングルもいたりして強制ではありませんが、アメリカ大統領も公式行事では同伴です。
L塩田博志も、節目事に『美代子夫人』を同伴しています。私も先輩を真似て、かみさんを説得し、ほとんど毎回一緒です。先にも紹介しましたが、1991(平成3)年バブル景気の頃、L浅田善太郎会長の幹事に就任したのですが、就任直前にここ二蝶で幹事を励ます会を夫婦同伴で幹事経験者が催してくれました。これも高松栗林ライオンズクラブの伝統ですが、ここはコロナ禍でヒビが入っています。
L塩田博志は、ライオンズの伝統をわれわれ後輩に伝えてくれています。25代幹事として、高松栗林ライオンズクラブが提唱して『高松冬のまつり』を立上げ、30代クラブ会長、2001(平成13)年地区委員(PR情報大会参加委員)として四国中にその名を知らしめ、2003(平成15)年にも地区委員(青少年LCIF奉仕委員)を務めています。
さらに名を上げ、栗林にSIOTAありと恐れられ始めたのは、2007(平成19)年リジョン・チェー・パーソン(RC=知事)をやったことでした。この上は『ガバナー(四国州知事)』しかなかったのですが、病魔に取り憑かれてわれわれの夢ははかなく消え去りました。美代子夫人に、『1千万円用意した』と言われました。ガバナーになるのにも、『健康・金・家族の協力』がいるようです。
それに加えて今日の最終盤に美代子夫人が、「おとうさんはライオンズが好きなの」。今日の金言は色々ありましたが、最後の一言も、深い母の愛が込められています。おめでとうございます。長生き頼みます。