第7469回

小椋佳ファイナル・コンサート・ツアーin Takamatsu

標題のコンサートが12月9日(金)18:30から、レグザムホール大ホール(2,000名収容)で開催されました。同館6階レストラン・シレーヌでかみさんとディナー(と言うほど大袈裟なモノではなかったのですが)を頂き、コンサートを堪能しました。小椋佳(本名・神田紘爾かんだこうじ)さんは現在78歳、70歳になったところで4日間借り切って、渋谷のNHKホール(3,000人収容)で4夜連続『生前葬コンサート』をやって、今は『余生、もういいかい』ツアーを来年1月79歳誕生日までして、引退するようです。これも凄いですね。

小椋佳さんは、東京都下谷区東黒門町(現在の台東区上野)の出身。両親は、飲食店を経営していたと聞く。東京都立上野高等学校を卒業し、一浪で東京大学文科一類に入学。3年次に法学部へ進学。東大在学中は、東京大学法律相談所で旧司法試験の勉強を行う。卒業後、日本勧業銀行(当時)入行。銀行マンとして証券部証券企画次長、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任する傍らで音楽活動を行ってきた。またこの間、ノースウェスタン大学留学や、メリルリンチ証券派遣など、米国滞在を経験している。ここで、本場のJAZZを聞いた。

私のような音楽苦手のモノでも、小椋佳は知っている。バリバリの銀行マンが副業で、堂々と音楽活動をしているのは当時でもユニークだった。また大勢の歌手に楽曲を提供しているのも、今となっては影響力の大きさを物語る。高松へは、当時の『多田野鉄工所』へ通ったらしい。非上場会社の社債引き受けの幹事銀行として、財団財産評価などに当たったと話していた。音楽活動でも何度か高松へ来ているようだが、現『タダノ』の社歌は、小椋佳作詞作曲らしい。知らなかった。

今日のコンサートでも、「もう歳ですから」を連発していましたが、老いてますます盛ん、ピアノのレッスンを週一でやり始めたそうです。たった1人の孫さんとは、『いろはカルタ48枚』。「いろはかるた」 は、「色は匂(にお)へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為(うい)の奥山 今日越えて、浅き夢見し酔(ゑ)ひもせず」(涅槃経)という仏教精神を和文で表わしたと言われる「いろは歌」47文字と、「京」 を合わせた 48文字を、句の頭において作った 短歌のかるたです。

これを孫と戦うと、小椋じぃじいは8枚、孫は40枚ほど獲るとか。勿論体力勝負の遊びは、15分でギブアップ。79歳を前にして、口では『もう歳ですから』と言いながら、一生懸命に励んでいます。確かに私たちの世代に、勇気と希望を与えてくれた多彩な才能に溢れた偉人の1人です。彼の曲は昭和の歌に数えられると思いますが、美空ひばりの『愛燦燦』も、堀内孝雄さんの愛しき日々、梅沢富美男さんの夢芝居も小椋佳作品です。

最近のサントリーレモンサワーのCM、梅沢富美男さんと大久保佳代子さんが黄色いかぶり物を身につけて登場しますが、小椋佳作詞作曲『夢芝居』のイントロが流れます。このイントロは編曲者が付け足したモノのようですが、これにも小椋佳に多額の印税が入るようです。「おかしいおかしい」ととぼけていましたが、編曲者は可哀想ですね。

一世を風靡した小椋佳さんですが、今年8月死去された稲盛和夫塾長は、このあたりの歳からJAL再生に心血を注いだのですね。改めて二人をダブらせて見て、小椋佳の偉業をレガシーとして受け止めていますが、稲盛和夫塾長は今の「もう歳ですから」と言う小椋佳さんの歳から荒波に立ち向かったわけです。それでいて、『自分ほど幸せな人間はいない』と言って息を引き取った。凄い男がいたモノだ。

電話で相談 メールで相談