百十四銀行仏生山支店開店90周年

昨年末に、藤村昌彦支店長が挨拶に来られて、90周年を知りました。仏生山支店は、大正11年1月23日に、百十四銀行第19番目の支店として開業したそうです。当時は、「高松百十四銀行本店所属仏生山出張所」という名称だったそうです。所属というのが面白いですね。
開店場所も何と、今の仏生山交番(旧仏生山警察)から西へ入ったところです。決して交通の要所ではありません。秋まつり大名行列(昔の殿様が通った道)が行われている仏生山街道は、大正時代には既にあっただろうし、仏生山街道沿いなら納得しますが、そこから50メートル近く入ったところです。
大正13年には、高松銀行と合併、新立高松百十四銀行本店所属仏生山出張所となります。昭和に入って不景気な4年に、南新町支店所属仏生山出張所となっています。そして昭和5年に独立というか、所属がとれて「仏生山支店」に昇格しています。恐らく商いとしては、活発な支店だったと推察します。
戦後は22年に、香川郡仏生山町大字出作48番地3に移転しています。仏生山町の大字は今はありませんが、大字百相が今の「甲」で、大字出作が「乙」です。私の住まいもこの近くにあります。そして会社の住所が、仏生山町から道路一本挟んで高松市出作町です。
ややこしい話になりましたが、高松市仏生山町出作と高松市出作町は、地理的には離れていますが、両方が「熊野神社」の氏子という共通点を持ちます。つまり私は住まいも熊野神社であり、会社の所在地周辺も熊野神社の氏子さんのエリアです。
そのために平成9年にこの地に会社を移しましたが、熊野神社のつき合いで、この周辺の方々とも既知の仲で、本当に助かりました。歴史というものは面白いですね。当時は、何かのきっかけで動いたのだと思いますが、それを振り返るといろいろなことが想像できます。
そして仏生山支店は、昭和32年に更に北上し、駅前商店街沿い、旧浜田内科の斜め前(仏生山町甲368番1)に新築移転して、最後に現在の地に新築移転しています。今の場所はマルナカ仏生山店斜め前ですから、弊社からも僅か100メートルの至近にあります。
残念ながら私が知っている仏生山支店は、浜田内科の前の時で、私が5歳の時にここが完成し、その後約50年間に渡り仏生山支店として活躍していたわけです。駐車場も今のように完備されていませんが、よく行った記憶が今でも鮮明です。
おかしな話しですが、母がしていた麺業に百十四さんが毎日出入りしていたこともあって、仕送りも百十四銀行でした。東京の日本橋にある支店まで引出に行っていました。今考えたら、改善の余地があったと思います。
明治5年、わが国に銀行制度が採用され、国立銀行条例が公布されました。
この条例に基づいて明治12年までに全国で153の国立銀行が設立されました。
国立銀行は、当局により設立出願の許可順に付された番号により命名されました。
最初に出願許可されたのは東京の第一国立銀行で、最後に出願許可されたのが京都の第百五十三国立銀行という具合です。
このようにして、114番目に出願許可されたのが香川県高松市の第百十四国立銀行です。
当行は明治11年の創業以来、「地域社会への貢献」と「健全経営」の経営理念のもと、百有余年にわたりゆるぐことなく続いてきた伝統ある銀行であり、今では数少ないナンバーバンクの一つです。(http://www.114bank.co.jp/toushi/yurai.html百十四銀行HPより) http://www.114bank.co.jp/toushi/yurai.html