会長日記

第8091回

おわら風の盆2023BSNHK特番を観て

今年も、富山県八尾のおわら風の盆が9月1日から三日間開催される。BSNHKの特別番組で、昨年のまつり風景が解説付きで紹介されています。8月は全国的に夏まつりが盛んで、日本も広いもので津々浦々の踊りから花火、またその両方がミックスされたモノ、色とりどりで面白い。このところのゲリラ豪雨で、延期や中止も余儀なくされるのですが、NHKの特別番組で紹介されるのはその中でもレベルが高い。

私も何度か『おわら風の盆』を見に行ったのですが、ほぼ1年を通して練習などの準備に追われると今日の番組を観て知りました。最初に盛和塾香川の平田喜一郎代表と行ったのが最初で、この時はまつりの後でしたが、門々に『まつりへの協力に感謝』の張り紙があって、この町の住民の意識の高さを感じました。次は当然生まつりを観るべく、埼玉の栗原ファミリーをたきつけて見に行きました。富山の食事はどこも美味しかったのですが、これほどまでに『米…

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第8090回

久保喜治さんの墓所を訪ねる朝の散歩

室内のウオーキングマシンが壊れて、修理が来週になるという連絡と部品が宅配されてきた。毎日どのコースを散歩するか、悩むところであります。今日は、進路を北にとって、仏生山町と出作町の境にある『新田墓地』の久保喜治さんの墓を訪ねてみました。久保さんは昭和4年4月生まれ、私より23歳年上で、不動産業界の大先輩で親みたいな人物でした。

今年95歳の誕生日を迎える前の3月31日、老衰で死去されました。享年96歳の長寿。既に生前葬をクレメントホテル高松飛天の間で賑々しくおこない、葬儀は家族葬で、私も参列していません。生前良く口にしていたのが、「14歳で少年飛行兵に志願して、お国に奉仕した」。滋賀県の大津陸軍少年飛行兵学校跡地に、記念碑があり、確かに久保喜治の名前がありました。

高南支部研修旅行のバスで通りがかりに突然立ち寄ったモノでしたが、石碑にその名前があり、大歓声が沸きました。晩年のひねた顔から…

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第8089回

自民党総裁選挙のポスター2024

自民党は21日、9月27日投開票の総裁選に向けたポスターとウエブ動画を公開した。私も興味津々、マスコミ報道ですが、『THE MATCH』と書かれた白黒に赤字のポスターを見ました。平井卓也広報本部長(岸田派)は、地元香川1区選出議員ですが、新聞と放送局を配下に持つマスコミ人で、この手の製作には長けている。ポスターには『55年体制』で誕生した初代鳩山一郎総裁ら、歴代26人の総裁の顔が配置されている。

勿論残念ながら総裁には選ばれても、総理に届かなかった人もいるが、こうしてみると、やはり自民党が日本の政権を担ってきたという思いは強い。それぞれの時代に、日本を世界の冠たる国に押し上げる努力をした人の顔だ。顔の大きさで重要度貢献度を測っているようだが、順位にはAIも活用したと平井卓也広報本部長は語っているが、メリハリが効いた、訴求力のあるポスターに仕上がっていると私は思います。

ポスターには安倍…

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第8088回

警備と教育と伝統行事の三すくみ

私の住まいする仏生山町は、1640年(今から380年前)頃に、徳川高松藩初代藩主松平頼重公に依って作られた門前町だと聞いております。それまでの生駒親正公から続く生駒家がお家騒動で、今の秋田県由利本荘市に移封され、その後水戸藩の殿様が高松に入り、現存していた玉藻城(高松城)やその周辺の町家を整備しながら、南に三里離れたこの仏生山町に菩提寺(法然寺)を作り、まちづくりに腐心されたと聞いております。

殿様は墓所を目立たないように軍事拠点化し、池と沼に囲まれた出城のように法然寺をつくり、町内も住民が食べていけるように『麺づくり』を奨励したと聞いています。御成街道と呼ばれる『仏生山街道』の脇には、『素麺所』や『醸造所』をつくり、町民が疲弊しない生活のすべを作ってくださいました。その面影が、法然寺境内でつくられている『そうめんやうどん』です。

さて本日のお題ですが、去る三日の土曜日に恒例の『門前ま…

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第8087回

HORIZONトレッドミルAdoventure1ウオーキングマシンが壊れた

6月末ぐらいから調子がおかしく感じていたウオーキングマシンが、ついに壊れた。写真のように、ベルトが巻き付いてどうしようもない。6月末に修理見積もりをとってみたら、最大7万円超。どこが壊れているか分からないまま、最大値の見積もりではあるが、驚くと同時に、もう少し様子を見てみようと躊躇した。その後同機種を使っている森澤さんに来て頂き、応急措置をした。

記録を見たら、2016年9月と大書している。このマシンも8年間毎日働いてくれて、このところ回転に音が出始めていた。森澤さんがシリコンスプレーを塗布してくれたので、少し修理は先になったかと安心していたが、滑りは良くなったが異音は治まらず、結果として止まってしまった。ベルトの老化が原因だろうから、これはどうしようもない交換修理という選択しかない。

このマシンは8年だが、その前にも一回り小さなマシンを使っていた。外へ行くのが面倒で、ついつい室内で収…

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第8086回

広瀬勉さんの法然寺納骨が無事終わる

七月に新潟在住の十河浩と名乗る人から、1本の電話を貰った。彼のいとこに当たる広瀬勉さんが、大阪堺市の府営団地の1室で孤独死したという知らせでした。広瀬勉さんは、拙宅の南の道路を挟んだ今も現存する家に、高松工芸高卒まで住まいしていて、母親サチ子の通夜の晩に、この日記を読んで知ったと駆けつけてくれたあの人。その時も驚いたが、その後母の三回忌から先は、お目にかかることがなくなっていた。

突然の訃報に驚いたが、いとこの十河さんが警察からの連絡で詳細を知り、府職を通じて、荼毘に付した骨を新潟の十河さん宅まで配送してもらったとか。過去に広瀬勉さんが大手術する際に、十河さんの妹さんが関係者として登録されていたのをたぐり、妹さんを介して十河さんのところに連絡があったらしい。今日の納骨に、妹さんの姿もありました。

独居老人の孤独死は、商売柄私の身の回りでも多発している。今では決して珍しいことでもなくなっ…

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第8085回

昭和・平成100年史byユーキャンDVD8巻から第2弾

昨日の続きを紹介しておきます。昨日一部に触れた読者は、分かりやすいかと思います。昨日は、戦前の昭和と戦後をまとめました。本日分は、『平成』への改元からです。

▲平成元年十一月~二年十月

『ベルリンの壁』崩壊・共産主義国家東ドイツの消滅と統一ドイツの誕生

▲昭和六十年~平成三年

バブル経済とその崩壊・財テクと高額不動産によるインフレ経済の破綻

▲平成四年六月

湾岸戦争とPKO協力法成立・求められた日本の国際協力

▲平成五年五月

サッカー『Jリーグ』開幕・日本にサッカーの楽しさを根付かせたプロリーグ

▲平成五年十二月

世界遺産に初登録・海外旅行の流行を機に日本の歴史的遺産が見直される

▲平成七年一月

阪神淡路大震災・未曾有の災害からの復興に多くのボランティアが駆けつけた

▲平成七年五月~九月

野茂英雄、メジャーリーグを席巻

▲平成七年十一月

ウインドウズ95発売…

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第8084回

昭和・平成100年史byユーキャンDVD8巻から

日本ではお盆の今頃になると、マスコミが先の大戦の終戦関連報道をする。この機会に改めて、国民は不戦の誓いを新たにする。今日のネタは、かねてから観はじめていた標題のDVDを、この期を利用して完賞したというたわいもないモノであります。1巻が1時間くらいあり、通して観るのに中断していました。

ユーキャンのPRに荷担するわけではありませんが、解説書の『はじめに』を読んでみます。皇太子・裕仁親王(昭和天皇)が父、大正天皇の摂政に就任した1921(大正十)年から数えて、新しい元号になったばかりの令和二年が、丁度100年目に当たります。大正天皇は病弱で、公務遂行がおぼつかないとして補佐役を置いたのが『摂政』制度です。昭和前期の20年間は『戦争の時代』で、敗戦と占領を経験しながら、国の復興に努めた時代でした。

その甲斐あって日本はその後に『高度経済成長』を成し遂げ、国際社会への復帰を果たしました。それを…

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第8083回

佐野常民生誕200年~日本赤十字社を創った男の素顔~会報誌cross com-bookから

日本赤十字社会員誌クロスコムブックが届き、ページをめくってみる。興味深い記事がありました。拾ってみます。日本赤十字社の創設者・佐野常民は、幼少のころ佐賀(鍋島)藩医の養子になり、医者となる道を歩みます。頭脳明晰で努力家であった常民の勉強ぶりは、のちに長崎海軍伝習所(幕府の海軍士官養成所)でともに学んだ勝海舟が驚嘆するほどでした。

常民は蘭学や医学を学ぶために留学し、欧州で最先端の知識を吸収しました。そして1867年のパリ万博で、彼は赤十字の展示を見学し、戦時救護活動に感銘を受けました。赤十字運動は、国際的にはInternational Red Cross and Red Crescent Movement(国際赤十字・赤新月運動)と呼ばれ、世界192の国と地域で展開しています。

常民は赤十字の理念に感銘を受け、日本赤十字社の創設に尽力しました。1877年の西南戦争の折に、佐野常民と大給…

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第8082回

79回目の終戦記念日全国戦没者追悼式と金メダル貢献手袋

終戦から79年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われ、遺族など約3千人と関係者の総勢4千人が参加。事前に参列意向を示した遺族は戦後生まれが約47%で、惨禍の記憶や教訓の継承のあり方が問われている。最高齢者は97歳、兄が戦病死した。最年少は3歳、硫黄島に赴任した高祖父が戦死している。

高祖父は「こうそふ」と読みます。また、一般的な呼び方として「ひいひいおじいちゃん」もあります。家族の中で話すときや、実際に高祖父を呼ぶときは「ひいひいおじいちゃん」と呼ぶことが多いかもしれません。つまり、「自分の曾祖父母の親(男性)」を指します。つまり、自分の曽祖父のことです。性別が男性という意味から、「父」という言葉が入っています。

例年通りの全国戦没者追悼式だが、9月の自民党総裁選挙への不出馬を表明した岸田文雄首相は式辞で、今年もアジア諸国への加害責任には触れなかった。昨年までの…

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